今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

希望の歌とマイクコード

あの会見からもうすぐ、3ヶ月が経とうとしている。

 


いつか訪れる7月15日に、目を背けて生きてきた。あの会見を除けば、バラエティーでもラジオでも、ジャニーズウェブの連載でも、目にするのは耳にするのは、いつも通りの7人の笑顔と声と姿で、何度も何度も夢なんじゃないかと思った。あの日の事が嘘だったみたいに、あまりにも嘘だったみたいに、どの瞬間を切り取っても、そこには「いつも通り」の関ジャニ∞しか居なかった。


ラストと銘打ったどのレギュラー番組にも、最後まで沢山のメールを読んだスバラジにも。終わりが来るその瞬間まで、終わる気配を感じ取れないくらい、そこにはいつもの渋谷さんが居たし、いつもの関ジャニ∞が居た。

 


7月8日の夜も、そうだった。
お気に入りのセッションについてエピソードを語る時も、いつも通りお互いを褒め称える。恥ずかしかった思い出を掘り返し、いつも通り楽しそうに笑う。本当にやめてしまうの?と思った。でも、分かっていた。知っていた。その時はもう、そこまで来ている。

最後のセッションでさえも、最後の最後の最後の、本当に最後の瞬間まで、関ジャニ∞はこのままの形で続くんじゃないかと思えた。それくらい、関ジャニ∞が見せてくれたものは「変わらない姿」だった。私が知っている、最高の関ジャニ∞のままでいてくれた。だからこそ。だからこそ。彼らの決意を無視する事になるかもしれないけど。このまま、時が止まってくれれば良いのに。そんな事を思ったら涙が溢れた。

 

 


見せてくれた幾つもの「変わらない姿」の中に少しだけ「そうじゃない姿」を見た。ジャニーズウェブで「次のステージしか見据えていない」と言い切った亮ちゃんが涙をこぼした。「寂しい」と言った。ラジオで「明日泣いていたらごめんなさい」と言った大倉くんが最後まで笑顔だった。クロニクルの収録でHeavenly Psychoをセッションする事になった時、準備の輪になかなか加わろうとしなかったのが横山さんと丸ちゃんだと知った。

きっとそれだけではない。安田くんは怪我を押した出演にも関わらず優しく笑っていたし、雛ちゃんは会見の時から本当にブレずに一貫した姿勢でいるけれど、表に出ていないだけで、関ジャニ∞には数え切れない程多くの「いつも通りではいかなかった瞬間」があったのかもしれない。

 

 

渋谷さんは今回、色んな場所で、色んな番組で「6人の関ジャニ∞をよろしくお願いします。」と繰り返し伝えていた。渋谷さんのその言葉はまるで自身に言い聞かせるようで、聞くたびに胸が詰まりそうになった。自分の意思で今回の事を決めた渋谷さんが、寂しさを口に出す事は自分の中で筋が通らない事だと感じているかもしれない。
けれど、渋谷さんは関ジャニ∞の事を嫌いになって離れる訳ではないのだから、と思ってしまう。離れるの、寂しいなあって、言ってくれたらいいのにと思ってしまう。きっと、そんな事を渋谷さんの口から聞いたら「じゃあやめるのやめたら良いのに」と感じると思う。自分でも滅茶苦茶な事を言っているのは分かっている。
それでも、渋谷さんが自分の寂しさに蓋をして、涙目で、6人の関ジャニ∞をよろしくお願いしますと言っているのを見ると、渋谷さんにその寂しさを吐露できる場所があればいいなと感じる。そして表立って渋谷さんが寂しいと口にしなくても、それを肌で感じて受け止めてくれるのが、関ジャニ∞という場所であればいいなと切に願った。

 

 


正直、まだ全然受け止められていない。それでも、向き合う時間を与えてもらったとも思う。
4月15日から、来る日も来る日も、あの日の関ジャニ∞の決意を少しずつちぎっては口に運び、一口にも満たない量をもたもたと噛み締めながら、味を忘れないように飲み込んできた。
悲しかった。寂しかった。考えないようにしても、生活の中でふと、涙が溢れる時があった。どの景色にもどの思い出にも関ジャニ∞が居たから、生きているだけで荒療治だったけど、それだけ私は自分の人生を、関ジャニ∞とともに生きてきたのだと痛感した。

 

 

関ジャニ∞について、私達が知っている事は、ほんの一部に過ぎない。そのほんの一部からも、十分すぎるほどに、関ジャニ∞が強い人たちだという事は伝わっている。強くて、仲間思いで、負けず嫌いで、素直で、優しくて、泥臭くて、人間らしい。

 
生きている、と思わせてくれる。
関ジャニ∞も、私達も。周りを巻き込むエネルギーは強大で、関ジャニ∞に惹かれていく人達は皆、そんな関ジャニ∞の根底にある「生きる力」に惹きつけられる。
今回の事に限らず、関ジャニ∞を見ていると思う。寂しがって良い。悲しがって良い。泣いても良い。強がって良い。前を向いても良い。前を向けなくても良い。泥臭くて良い。どんな感情を抱くのも、間違っていない。関ジャニ∞も私達も生きているから、進んでいくスピードも歩幅も違う。俯くし、涙は落ちるし、後ろを振り返る。それでも良い。

関ジャニ∞の事を好きだからこそ抱く色んな感情を、関ジャニ∞を見ていると肯定してもらっているように感じる。
だから、まだ寂しいし悲しいし、それでも、関ジャニ∞と渋谷さんを応援したい強い気持ちに1ミリの嘘もない。

 

 

 

渋谷さんの事を、頭でちゃんと理解できるまでに恐ろしい程の時間が掛かることは分かっている。10年掛かるか20年掛かるか分からない。全てを飲み込んで、全てを受け入れて、全てを理解した時、もしかしたら関ジャニ∞はおじいちゃんになっているかもしれない。でももうその頃にはグループとか、事務所とか、関係ないとも思う。また渋谷さんを呼んで、全員で歌って欲しい。昔、ずっと一緒におったなって、笑って欲しい。表舞台であれば嬉しいけれど、そうじゃなくてもいい。私達の知らないところでいい。関ジャニ∞が途切れず繋がっていた事を、関ジャニ∞だけが分かる形で良いから、証明して欲しい。そんな我儘を言わせて下さい。

 

 
渋谷さんは関ジャニ∞から離れるかもしれないけれど、渋谷さんがいた時間はなくならないし、渋谷さんが叫んだ声も、歌った歌も、踊ったダンスも、頭からかけて欲しいとか何ヘクタール食えるとか独特な食レポも、圧倒的な笑いのセンスも言葉選びも、周りから愛され慕われる力も、くしゃくしゃの笑顔も、全部、ちゃんと存在しているし、消えたりしない。無かったことになんか、ならない。
関ジャニ∞は6人になるかもしれないけど、7人の関ジャニ∞も、8人の関ジャニ∞も、まだ私の中で生きている。だから絶対なくさない。
なくさないように、宝物みたいに大切に大切に手の中に抱えながら、これからの関ジャニ∞と渋谷さんを、応援していきたい。両手にありったけの力を込めて。その背中を押したい。もう既に、涙を拭いながらでも、走り出そうとしているその背中を。

 

6人の関ジャニ∞と渋谷さんを応援する事と、7人の関ジャニ∞と8人の関ジャニ∞を忘れる事は、決して、同義ではないから。

 

 

 

関ジャニ∞も、渋谷さんも幸せになって欲しい。きっと、幸せにならければいけない人達だと思う。沢山の悲しみも逆境も乗り越えて、それでも尚、強く前を向いて笑っている人達だから。

 

 


どうか。

 


関ジャニ∞の歌う希望の歌が、遥か遠く未来まで届く事を。
その遥か遠い未来で、渋谷さんの赤いマイクコードが伸びる先が、もう一度関ジャニ∞と出会う新たな場所である事を。願っています。

 

 

 

いつか、また。

 


逢えるよね。

 

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2018.7.14

 


ずっと。ずっと。今までも、これからも。
関ジャニ∞が、大好きです。