今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

「私」と「関ジャニ∞」の20年

今こそ何かを書き残しておきたくて、でも、この感情を上手く纏める事も出来なくて、考えながらこの文章を打っている。

真っ暗な窓の外を見て、今夜が最後の夜なんだと思った。明日陽が昇れば、「関ジャニ∞」という名の船は帆を下ろす。

 

 

 

関ジャニ∞は、私の人生だった。

 

 

 

私は元々V6からジャニーズファンとしての人生を始めていて、そこから徐々に当時の関西ジュニアへと転げ落ちて行った。「好き」だとか「担当」だとかの概念は後から考えたら多分そうだったな…というくらいのもので、とにかく「応援したい」という一心で彼らを見ていたと思う。

J3 KANSAIで結成が決まった時、当時私の周りで関西ジュニアを好きな人は一人もおらず、今のようなSNSもなかったため、誰とも結成に対する気持ちを共有する事は出来なかった。8人は結成された「関ジャニ8」という名前を少しずつ形にするように2年間を過ごし、そして名前は「関ジャニ∞」へ形を変えた。浪速いろは節を店頭で探して、初めて1枚のCDを手に取った時の「本当にあった…」というじわじわ来るような喜びにも驚きにも似た感情は、まだ色褪せずに残っている。握手会は、誰とも緊張を分かち合えない事と長時間の待機で疲弊し過ぎて、身体中の水分という水分が出た状態で挑んだのに手汗だけはしっかりかいていた事も覚えている。

その後に初めての別れを経験して、大倉くんがいつも書いてくれていた8→1に縋り続けた。

 


高校に進学して初めて、私の他にジャニーズが好きだという子に出会った。あれが好きだった、ここが良かった、と誰かに自分が感じた事を伝える事の楽しさを初めて知った。そこから自分一人の中で完結させていた感情を誰かに伝える大切さに気付き、あの時世界が広がったと思う。そのタイミングで私は、人生で初めての関ジャニ∞についてのブログを開設する。毎日のように関ジャニ∞についての想いを、CDや雑誌やコンサートの感想を綴った。

 


そのブログをきっかけに、大切な友人達と出会った。

住んでいる場所も、年齢も、性格も様々。学生同士だったので会う事もなかったが、ブログで毎日のように会話をした。顔も見た事がなかったのに、心の底から楽しいと思えた。

 


私の記憶は、関ジャニ∞とともにあった。

大学受験勉強中にラジオを聞く為に、コードの長さの限界を無視しながら大きなプレーヤーをガタガタと窓際まで抱えて移動し、謎の韓国語電波と幾度となく戦った。カップリング曲の解禁が24時台なのに、翼くんのto baseを聴きながらあっさり寝落ちし、次に起きたら1時を過ぎていて肝心の初解禁曲を聴き逃した事なんて数え切れないほどある。

初めて実家を出て一人暮らしをした時、知り合いが一人も居ない土地で心の支えになってくれたのも関ジャニ∞だった。部屋へ帰って関ジャニ∞を見るとほっとした。CDもDVDも全部引越しの荷物に詰めた。知らない場所で見る関ジャニ∞は、そこだけ明確に「私の知っている景色」だった。

就職先の最終面接は9月22日だった。勝手に、関ジャニ∞が応援してくれている、と思えた。

 


思えば当時は、今ほどSNSも発達しておらず、良いものも悪いものも瞬く間に広まるような世界では無かった。関ジャニ∞についての情報はTLのように勝手に流れてくる事はなく、自分で探しに行かないと知り得ることは出来なかった。そういう事にも不便さを感じた事はなく、それすらも楽しかった。

 


関ジャニ∞はどんどん知名度を上げ、ドラマや映画にも出て、バンドとしてのスキルも磨き、芸能界の中で確固たる地位を築いて行った。私は就職し、友人達と数え切れないほどの関ジャニ∞への感情や思い出や日々を共にした。気の置けない仲間と順風満帆な関ジャニ∞を応援していて、楽しくないはずが無かった。

2018年に渋谷さんが脱退を発表した。発表当日は泣きに泣いて、夕方までベッドの中にいた。会見は見られなかった。こんなに泣いても涙は枯れないのかと思うほどで、翌日から仕事に出たは良いが、腫れた目元とあまりの使えなさに上司に酷く叱責された。

 


突然、「3ヶ月」を関ジャニ∞から与えられた。

7人が6人になるまでの3ヶ月。私は関ジャニ∞の言葉を少しずつ少しずつちぎっては口の中でもたもたと咀嚼し、味を忘れないようにゆっくり飲み込んだ。どうしても見届けたかった6人体制の初日の北海道公演で、言葉にならなかった想いが涙になって溢れて、次から次へとこぼれ落ちて止まらなかった。

関ジャニ∞は6人になり、安田くんの怪我も加えて、見ているこちらが辛くなるほど1年間をがむしゃらに走り抜けて、そして亮ちゃんがグループを去った。渋谷さんの時のような絶望的な悲壮感とはまた違う、けれど、じわじわと心を侵食するような寂しさと、これからの不透明さに、関ジャニ∞の心を案じた。

 


立て続けに2人を見送った関ジャニ∞は明らかに満身創痍なのに、5人体制を公表してすぐに2回目の47都道府県ツアーを発表した。関ジャニ∞が何を言っているのかすぐには理解出来なかったが、ツアーの会場すら今スタッフが必死になって確保している事を後からラジオで聞いて、これは彼らの覚悟なんだと思った。今ここで立ち止まったら、きっともう倒れてしまう。そして、倒れたらもう2度と立ち上がれない。だから、止まりそうな足を必死に持ち上げてでも、先へ進まないといけない。5人は映像特典で「ビビって後ろにコケんと、前にコケような。」「5人として、俺はまだ全然諦めてないから。」と口にしていた。

もう休んだらいいよ。無理しないで欲しい。そんな野暮な言葉は、5人を見ていたら喉から先へは出なかった。

 


2回目の47都道府県ツアーは、世界的に蔓延した感染症の影響を大きく受け、完走を迎える事なく幕を閉じた。エンターテイメントの全てがその役割を剥奪された中で、関ジャニ∞は自分達に出来ることを探し、一つ一つ形にしてくれた。配信コンテンツを充実させ、いつかまた再開するであろうその時を待ち侘びて、5人は静かに種を蒔き続けた。

2021年、再び関ジャニ∞はステージに立った。

 


その後、大倉くんの体調が芳しくなく一定期間の休養をするも、4人が大倉くんの体調を気遣いながらステージへの準備を進め、5人でスタジアム公演を成功させた。あの夏スタジアムで、7人で見上げた花火は、5人になっても打ち上がった。それは、彼らが関ジャニ∞という炎を絶やさずに守り続けてきたからこそ、見ることが出来た景色だった。

ドーム公演、昨年は2つのロックフェスと、野外ライブ。グループの形が変わったって、何かを成し得る力が関ジャニ∞にはある事を、その度に実感した。

そして2023年、彼らはこの20年間何があっても守り抜いてきた「関ジャニ∞」という看板を、下ろす事となった。

 

 

 

 


掻い摘んで書いたって、彼らの20年間は決して平穏なアイドル人生では無かったと思う。普通の人と同じように、数え切れないほどの壁に直面して、その度に悩み、もがき、考え抜いてきた。体調だって万全ではない中で、何をどうやって届けるべきか、いつでもこちら側に寄り添ってくれるグループだった。

 

 

 

何度も会議を重ねても、新しい屋号は3ヶ月決まらなかったらしい。幾度も話し合いを重ねる中で、彼らが「ほんまに変えなあかんの?」「このままで行ったら良いんちゃう?」と名前を変えない選択肢も視野に入れていた事を知った。

 


たかが名前なのかもしれない、されど、20年間連れ添った名前だ。「関ジャニ∞」の屋号は彼らの名刺となり、盾となり傘となり、武器となり、拡声器となり、私達の人生となった。

 

 

 

関ジャニ∞は、関ジャニ∞であった8人の、7人の、6人の、そして5人の人生であり、そして数え切れないほど多くの彼らに携わった人達の人生であり、彼らを見てきた私達の人生だった。住んでいる場所が違っても、年齢が違っても、価値観が違っても。関ジャニ∞を通して、私達は彼らと同じ景色を見る事が出来た。関ジャニ∞を通して、同じ経験をし、同じ感情を抱え、同じ時を過ごした。

「人生」以上に当て嵌まる言葉なんて無い。

 


寂しくなっても良いと思う。悲しくなっても良いと思う。けれど決して、関ジャニ∞が歩いてきた20年間は、私達が関ジャニ∞と見てきた20年間は、昂った気持ちは、あの日の涙は、コンサートの度に叫んだ「俺たちが最強で最高の関ジャニ∞」は、振り上げた繋いだ手は、看板を下ろす事で無くなったりしない。

それぞれの「私と関ジャニ∞」を、それぞれの宝箱に入れて、胸に抱えて生きていく。

 


大倉くんが言っていた。

「誰が正解なんてないから、それを正解にする行動をしていかなきゃいけない。」

関ジャニ∞を正解にしてきた彼らなら、きっと新しい名前も正解にしてくれる。関ジャニ∞が選んだ名前なら、きっと大丈夫。根拠は、これまで見てきた20年に他ならない。

 

 

 

 


関ジャニ∞として最後の1日、2月3日は奇しくも私の誕生日だった。何だかそれすらもただの「偶然」ではないような気もしている。

 

 

 

夜が明けたら、新しい名前の彼らになる。

新たな1歩は、どうか楽しい気持ちで、笑顔で踏み出して欲しい。いつだって、どんな時だって、泣いていたって。関ジャニ∞は笑えるくらい全速力で、見えなくなる位向こうまで走って行ってしまう人達だから。

 

 

 

 


新たに掲げた看板を見上げて、新品の帆を張り直す5人の船出に、追い風が吹く事を願って、この宝箱に鍵をかける。

関ジャニ∞、今までありがとう。「関ジャニ∞で良かった」と、言ってくれてありがとう。応援できたのが、私の人生になったのが、他でもない「関ジャニ∞」で良かった。

 

 

 

はじめまして。名前も知らない、けれど誰よりも知っている、誰よりも見てきた5人へ。

明日からも応援させてください。

 

 

 

 


2024.2.3.