今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

6515歩目の空へ投げられた大輪は

真夏で日は長いと言えど、もう既に太陽は落ち切った真っ暗な空。冷めやらぬ熱気を纏った5人の色鮮やかな柄違いの浴衣を背景に、端から規則的に吹き上がる水の粒が空中で眩しい照明に照らされてキラキラと煌いて、地面へ落ちていく。

音楽は途切れて、関ジャニ∞が両手を広げ、空を見上げる。大勢がつられるように上へ動かした目線の先で、打ち上がる前の甲高い笛の音が響き、真っ暗だった空に色が広がって、大輪が咲く。きっと、時間にすればたった数秒にも満たない事。それでも、無意識に呼吸すら止めていたその数秒の間に、この数年への想いは波のように押し寄せた。

 

 

悪天候の予報は覆らず、リハーサルはバケツをひっくり返したような大雨だった。カッパを着て、気を抜けば足を滑らせてしまいそうなほど濡れた、水たまりが至る所にあるステージで慎重に場当たりは進む。あまりの大雨にリハーサルが中断となっても、その時点で確かめられた箇所まで話し合いを進め、柔軟に変更点を模索していく姿。結局ゲネプロも大雨の中で行う事となったが、中断はせずに最後まで敢行され、そこには翌日の悪天候も踏まえての確認作業も含まれていたはずで、その努力と覚悟に頭が下がった。

当日の天気を考慮し、ギリギリで選択や判断ができるようにパターンを作り、まずは全員が無事に公演を終えられるようにと配慮する関ジャニ∞やスタッフ陣営の姿は、18年間積み上げてきた信頼と経験の上に成り立っているのだと知った。

公演当日、雨足はそこまで強くなく、滞りなく公演が進む。その裏側でも、メンバー同士で体調をカバーし合い、臨機応変に対応している関ジャニ∞の様子が映し出されていた。今までだってそうで、いつでも関ジャニ∞はその場でぶつかった壁に、全員の力で立ち向かおうとする。誰かの役割を代わりに担い、誰かの荷物をさらっと背負って歩く。それを、さも当たり前のようにやってのける。そして、その背負える量を、全員が18年かけて少しずつ増やしてきたのだと思う。新しい事を始め、何か少しでもグループに還元しようとする事も、例え難しい事であっても、一つでも選択肢を増やす事で演出の幅を広げようとする事も。関ジャニ∞は、続けてきたのだ。

 

 

関ジャニ∞は、あの日の賭けに勝ったか。


あの日。関ジャニ∞がこれから5人でやっていくと発表したあの日に感じた、「(関ジャニ∞を)続ける選択をしたからには、賭けに勝たなければいけない」という気持ちを思い出す。確かにあの日そう思った事に間違いはない。

でも、賭けって、何だったんだろう。関ジャニ∞は、何をしたらあの日の賭けに勝ったと言えるのか。私は、関ジャニ∞に、一体何に勝って欲しかったんだろうか。シングルが大ヒットする事?番組をいくつも持つ事?スタジアム公演を成功させる事?ドームツアーをする事?どれも一見正解なようで、きっと少しだけ違う。どれも関ジャニ∞という大木を形成するのに大事で必要な枝葉だけど、きっとそれよりももっと、見過ごしてはいけない根幹がある。一つひとつの枝葉を支え、地面に根を生やす、決して揺らいではいけない、

 

関ジャニ∞を「続ける」という幹が。

 

 

何かを18年間やり続けるというのは、決して容易な事ではないと思っている。ましてや、彼らを取り巻く環境は目まぐるしく変わり、関わる人達も、その立場も、発言力も、やりたい事も、18年間全く同じという訳には行かない。当たり前に全ては変わり続け、グループを閉じる覚悟をした瞬間もあったと話す。それでも関ジャニ∞は、「関ジャニ∞を続ける」事をやめたりしなかった。

「続ける」事は、大きな何かを成し遂げたり、記録を打ち立てたり、きっと他のどんな事よりも大変なのだと思う。当事者でない者にその苦労の全ては計り知れないが、その1番大変な事を18年間も止まらずに続けてきてくれた関ジャニ∞は、この夏、真っ暗な空に打ち上げられた花火をそれはそれは嬉しそうに見上げていた。

 

 

雛ちゃんは言う。『この18年、悔しい事も、辛い事も、腹立つ事もあったけど、こういう景色を見て、メンバーと共に過ごす時間はそれらを無かった事にしてくれ、それらは必要な時間だったと再認識させてくれる。やっと18年、まだ18年、もう18年。僕は「まだ」18年だと思っています。』と。

色々な事があった。公になっている事だけでも十分激動なのに、表には出ていない事も、きっと沢山あったのだと思う。どんな時でも落ち着いていて、どんな場面でもバランサーの役目を果たし、その辛さやしんどさを表面に大きく出す事はほとんどない雛ちゃん。それでも、コンサートでその目に映る景色が、関ジャニ∞で過ごす時間が、何かの支えとなり、少しでも糧になっていたのだとしたら。18年。長い長い年月だ。それを、「まだ」18年だと、前を見据えて強く言い切ってくれたその言葉は、ただのその場の口約束ではない、未来への確かな切符なのだと思う。


丸ちゃんは言う。『デビュー当時、Jr.の頃は一つひとつのペンライトの意味、団扇の意味、歓声の意味とか何も分からず無邪気にはしゃいでいたけど、続けていくほど、支えられるほど、その重さと後押ししてくれる強さに胸を打たれる。』『全く同じ気持ちでいて下さいとは言いません。でも、どんな形であれ、どんなタイミングであれ、どんなきっかけであれ、この7万2千人を皆で一緒に埋めてくれてありがとう。』と。

丸ちゃんはいつも、ファンの人生に寄り添った言葉をくれる。長年応援する事で、アイドルの人生に色々な事があるように、ファンの人生にも色々な事がある事を、丸ちゃんはよく知っている。違う人達を好きになったり、色んな事情で応援から離れざるを得なかったり、何かのきっかけで戻ってきたり、また、いつかの気持ちを取り戻したり。この「皆」が指すのは、言葉通りの7万2千人の事じゃない。あの日7万2千席を埋めた人達、あの日会場に行く事は叶わなかったけどその公演の成功を願っていた人達、そして、人生のどこかほんの少しでも、関ジャニ∞を想っていた時期があった全ての人達に、この言葉は向けられたのだと思う。


安田くんは言う。『俺らって人情に恵まれたグループ。皆の人情のおかげで僕らはここに立てて、18年走ってこれた。』『どんな真っ暗闇の中に自分が1人だと感じた事があっても、必ずその周りのどこかに関ジャニ∞という灯りが灯されている事だけは忘れないで。』と。

安田くんは、縁で人生を作っているような人だ。損得感情じゃない人間関係で結ばれた線をいくつもいくつも張り巡らせ、そこにきちんと温度を宿らせて、歩みを進めていく人だ。病気や、怪我や、自身が真っ暗な闇の中にいた瞬間もきっと何回もあったであろうけど、安田くんの暗闇を照らしたのは他でもない関ジャニ∞という灯りであったはずで、この安田くんの発言は、確かな経験則に基づいてのものなんだろう。「関ジャニ∞は人情に恵まれたグループ」というのは、ただたまたま恵まれているという話ではなくて、関ジャニ∞の人となりが運んできた、必然的な縁の結び合わせである事に、違いはないと思う。


横山さんは言う。『綺麗事で、努力は報われる、とは僕は思っていない。けど、努力をしないと頑張らないとこの景色は見られなかったし、やっぱり関ジャニ∞で良かったとこの景色を見て心から思う。』『これからも僕らは走り続けます。その為には皆さんの力が必要です。』と。

横山さんは、いつでも全てを頑張り続ける人だった。「頑張るを頑張る」という言葉は有名で、いつだって何か新しい事を、少しでも良くなる可能性を、一つでも選択肢が増える未来を考え続け、挑み続けている。5人体制になってからギターを始めた理由は「前の関ジャニ∞の方が良かったと思われるのは格好悪いから」。ギターの個人練習をやり過ぎて、そろそろその場が終わる雰囲気になっても「あと1回だけ」を繰り返し、そのピックが後日かなりすり減っていた事をスタッフさんから暴露されても、「偉そうな事言いたくない。だって、見えない所で皆やってる」と、決してその頑張りをひけらかなさい。そんな弛まぬ努力を重ねる横山さんが、この真っ白なペンライトの海を見て「関ジャニ∞で良かった」と、これからも呟けるように、変わらぬ関ジャニ∞であり続けられるように、力を添えたいと思う。


大倉くんは言う。『この景色を見られる僕らは幸せ者だなと思う反面、皆さんと会うこの景色じゃないと満足出来なくなってしまった。』『また僕達の姿を見て元気になって下さるなら、僕らをまた(このペンライトいっぱいの景色で)満足させて頂けないでしょうか。』と。

大倉くんはよく、ステージから見る景色の事や、ステージに立つ意味について言及してくれる。有観客での久しぶりのコンサートとなった時も、「綺麗事かもしれんけど、皆の表情とかコメント、送ってくれる愛情でここに立っていられる。」、「皆さんが支えてくれる限り、居てくれる限り、僕のステージに立つ意味は続きます。」と話してくれた。大倉くんはいつだって様々な角度から実直にステージと向き合ってきた。そこに立つ事の意味や、そこから見える光景と対峙し、感じた気持ちを素直に言葉にして届けてくれる。眩しい世界に身を置いているのに、大倉くんの言葉に過不足なんて存在せず、それらはきちんと地に足をつけたものだった。そんな大倉くんからの、未来に向けたこの悪戯っ子のような言葉は、いつも楽しそうに関ジャニ∞の中で大笑いし、嬉しそうに客席を見渡してその場所に立つこの人に、ずっとこの光景を見せたいと思わせるに十分過ぎる効力があったと思う。

 


関ジャニ∞は歌う。「あの日の僕に何を言う?」と。


あの日。関ジャニ∞を再出発させたあの日。

ファン以上に、関ジャニ∞だって不安に違いなかった。先が見えない中で、何から始めたら良いのか分からない中で、休む選択肢だって取れた中で、ただがむしゃらに走っていくしかなかった中で。立ち止まる選択肢を取らなかったあの日の5人に、今の関ジャニ∞は何を言うのだろう。


真っ暗で遠い空に、花火が上がる。

色がついて、大きな光が広がって、また消えていく。2004年9月22日に全国デビューをしてから、18祭最終日の2022年7月24日まで、17年と306日。日数にして、6515日。

6515日目に見上げた空に咲いた大輪は、あの日関ジャニ∞が誰か1人でもグループを閉じる話に頷いていたら、決して上がることはなかった花火。紛れもない、今日まで関ジャニ∞が続いた証だった。

 

 

「あの日の僕に何を言う?」


関ジャニ∞は、あの日の関ジャニ∞に歌っているのかもしれない。

 

 

「何も始まっちゃいないよ」と。

 


Age is just a Number.

年齢は、ただの数字だ。何かを始めるのに、何かをやり直すのに、立て直すのに、「もう遅い」なんて事はない。いつからだって、今からだって、きっと何だって出来る。関ジャニ∞は、それを体現して、証明して生きている人達だから。

見上げた花火の真っ直ぐな残滓が、涙でぐにゃりと歪んで映る。もしかしたら、6515日目の空に投げられた800発の大輪は、あの日「続ける」選択をした関ジャニ∞へ向けた、未来の5人からの喝采なのかもしれない。優しい眼差しで消えゆく花火を見つめた関ジャニ∞を見て、そう思った。