今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

「私」と「関ジャニ∞」の20年

今こそ何かを書き残しておきたくて、でも、この感情を上手く纏める事も出来なくて、考えながらこの文章を打っている。

真っ暗な窓の外を見て、今夜が最後の夜なんだと思った。明日陽が昇れば、「関ジャニ∞」という名の船は帆を下ろす。

 

 

 

関ジャニ∞は、私の人生だった。

 

 

 

私は元々V6からジャニーズファンとしての人生を始めていて、そこから徐々に当時の関西ジュニアへと転げ落ちて行った。「好き」だとか「担当」だとかの概念は後から考えたら多分そうだったな…というくらいのもので、とにかく「応援したい」という一心で彼らを見ていたと思う。

J3 KANSAIで結成が決まった時、当時私の周りで関西ジュニアを好きな人は一人もおらず、今のようなSNSもなかったため、誰とも結成に対する気持ちを共有する事は出来なかった。8人は結成された「関ジャニ8」という名前を少しずつ形にするように2年間を過ごし、そして名前は「関ジャニ∞」へ形を変えた。浪速いろは節を店頭で探して、初めて1枚のCDを手に取った時の「本当にあった…」というじわじわ来るような喜びにも驚きにも似た感情は、まだ色褪せずに残っている。握手会は、誰とも緊張を分かち合えない事と長時間の待機で疲弊し過ぎて、身体中の水分という水分が出た状態で挑んだのに手汗だけはしっかりかいていた事も覚えている。

その後に初めての別れを経験して、大倉くんがいつも書いてくれていた8→1に縋り続けた。

 


高校に進学して初めて、私の他にジャニーズが好きだという子に出会った。あれが好きだった、ここが良かった、と誰かに自分が感じた事を伝える事の楽しさを初めて知った。そこから自分一人の中で完結させていた感情を誰かに伝える大切さに気付き、あの時世界が広がったと思う。そのタイミングで私は、人生で初めての関ジャニ∞についてのブログを開設する。毎日のように関ジャニ∞についての想いを、CDや雑誌やコンサートの感想を綴った。

 


そのブログをきっかけに、大切な友人達と出会った。

住んでいる場所も、年齢も、性格も様々。学生同士だったので会う事もなかったが、ブログで毎日のように会話をした。顔も見た事がなかったのに、心の底から楽しいと思えた。

 


私の記憶は、関ジャニ∞とともにあった。

大学受験勉強中にラジオを聞く為に、コードの長さの限界を無視しながら大きなプレーヤーをガタガタと窓際まで抱えて移動し、謎の韓国語電波と幾度となく戦った。カップリング曲の解禁が24時台なのに、翼くんのto baseを聴きながらあっさり寝落ちし、次に起きたら1時を過ぎていて肝心の初解禁曲を聴き逃した事なんて数え切れないほどある。

初めて実家を出て一人暮らしをした時、知り合いが一人も居ない土地で心の支えになってくれたのも関ジャニ∞だった。部屋へ帰って関ジャニ∞を見るとほっとした。CDもDVDも全部引越しの荷物に詰めた。知らない場所で見る関ジャニ∞は、そこだけ明確に「私の知っている景色」だった。

就職先の最終面接は9月22日だった。勝手に、関ジャニ∞が応援してくれている、と思えた。

 


思えば当時は、今ほどSNSも発達しておらず、良いものも悪いものも瞬く間に広まるような世界では無かった。関ジャニ∞についての情報はTLのように勝手に流れてくる事はなく、自分で探しに行かないと知り得ることは出来なかった。そういう事にも不便さを感じた事はなく、それすらも楽しかった。

 


関ジャニ∞はどんどん知名度を上げ、ドラマや映画にも出て、バンドとしてのスキルも磨き、芸能界の中で確固たる地位を築いて行った。私は就職し、友人達と数え切れないほどの関ジャニ∞への感情や思い出や日々を共にした。気の置けない仲間と順風満帆な関ジャニ∞を応援していて、楽しくないはずが無かった。

2018年に渋谷さんが脱退を発表した。発表当日は泣きに泣いて、夕方までベッドの中にいた。会見は見られなかった。こんなに泣いても涙は枯れないのかと思うほどで、翌日から仕事に出たは良いが、腫れた目元とあまりの使えなさに上司に酷く叱責された。

 


突然、「3ヶ月」を関ジャニ∞から与えられた。

7人が6人になるまでの3ヶ月。私は関ジャニ∞の言葉を少しずつ少しずつちぎっては口の中でもたもたと咀嚼し、味を忘れないようにゆっくり飲み込んだ。どうしても見届けたかった6人体制の初日の北海道公演で、言葉にならなかった想いが涙になって溢れて、次から次へとこぼれ落ちて止まらなかった。

関ジャニ∞は6人になり、安田くんの怪我も加えて、見ているこちらが辛くなるほど1年間をがむしゃらに走り抜けて、そして亮ちゃんがグループを去った。渋谷さんの時のような絶望的な悲壮感とはまた違う、けれど、じわじわと心を侵食するような寂しさと、これからの不透明さに、関ジャニ∞の心を案じた。

 


立て続けに2人を見送った関ジャニ∞は明らかに満身創痍なのに、5人体制を公表してすぐに2回目の47都道府県ツアーを発表した。関ジャニ∞が何を言っているのかすぐには理解出来なかったが、ツアーの会場すら今スタッフが必死になって確保している事を後からラジオで聞いて、これは彼らの覚悟なんだと思った。今ここで立ち止まったら、きっともう倒れてしまう。そして、倒れたらもう2度と立ち上がれない。だから、止まりそうな足を必死に持ち上げてでも、先へ進まないといけない。5人は映像特典で「ビビって後ろにコケんと、前にコケような。」「5人として、俺はまだ全然諦めてないから。」と口にしていた。

もう休んだらいいよ。無理しないで欲しい。そんな野暮な言葉は、5人を見ていたら喉から先へは出なかった。

 


2回目の47都道府県ツアーは、世界的に蔓延した感染症の影響を大きく受け、完走を迎える事なく幕を閉じた。エンターテイメントの全てがその役割を剥奪された中で、関ジャニ∞は自分達に出来ることを探し、一つ一つ形にしてくれた。配信コンテンツを充実させ、いつかまた再開するであろうその時を待ち侘びて、5人は静かに種を蒔き続けた。

2021年、再び関ジャニ∞はステージに立った。

 


その後、大倉くんの体調が芳しくなく一定期間の休養をするも、4人が大倉くんの体調を気遣いながらステージへの準備を進め、5人でスタジアム公演を成功させた。あの夏スタジアムで、7人で見上げた花火は、5人になっても打ち上がった。それは、彼らが関ジャニ∞という炎を絶やさずに守り続けてきたからこそ、見ることが出来た景色だった。

ドーム公演、昨年は2つのロックフェスと、野外ライブ。グループの形が変わったって、何かを成し得る力が関ジャニ∞にはある事を、その度に実感した。

そして2023年、彼らはこの20年間何があっても守り抜いてきた「関ジャニ∞」という看板を、下ろす事となった。

 

 

 

 


掻い摘んで書いたって、彼らの20年間は決して平穏なアイドル人生では無かったと思う。普通の人と同じように、数え切れないほどの壁に直面して、その度に悩み、もがき、考え抜いてきた。体調だって万全ではない中で、何をどうやって届けるべきか、いつでもこちら側に寄り添ってくれるグループだった。

 

 

 

何度も会議を重ねても、新しい屋号は3ヶ月決まらなかったらしい。幾度も話し合いを重ねる中で、彼らが「ほんまに変えなあかんの?」「このままで行ったら良いんちゃう?」と名前を変えない選択肢も視野に入れていた事を知った。

 


たかが名前なのかもしれない、されど、20年間連れ添った名前だ。「関ジャニ∞」の屋号は彼らの名刺となり、盾となり傘となり、武器となり、拡声器となり、私達の人生となった。

 

 

 

関ジャニ∞は、関ジャニ∞であった8人の、7人の、6人の、そして5人の人生であり、そして数え切れないほど多くの彼らに携わった人達の人生であり、彼らを見てきた私達の人生だった。住んでいる場所が違っても、年齢が違っても、価値観が違っても。関ジャニ∞を通して、私達は彼らと同じ景色を見る事が出来た。関ジャニ∞を通して、同じ経験をし、同じ感情を抱え、同じ時を過ごした。

「人生」以上に当て嵌まる言葉なんて無い。

 


寂しくなっても良いと思う。悲しくなっても良いと思う。けれど決して、関ジャニ∞が歩いてきた20年間は、私達が関ジャニ∞と見てきた20年間は、昂った気持ちは、あの日の涙は、コンサートの度に叫んだ「俺たちが最強で最高の関ジャニ∞」は、振り上げた繋いだ手は、看板を下ろす事で無くなったりしない。

それぞれの「私と関ジャニ∞」を、それぞれの宝箱に入れて、胸に抱えて生きていく。

 


大倉くんが言っていた。

「誰が正解なんてないから、それを正解にする行動をしていかなきゃいけない。」

関ジャニ∞を正解にしてきた彼らなら、きっと新しい名前も正解にしてくれる。関ジャニ∞が選んだ名前なら、きっと大丈夫。根拠は、これまで見てきた20年に他ならない。

 

 

 

 


関ジャニ∞として最後の1日、2月3日は奇しくも私の誕生日だった。何だかそれすらもただの「偶然」ではないような気もしている。

 

 

 

夜が明けたら、新しい名前の彼らになる。

新たな1歩は、どうか楽しい気持ちで、笑顔で踏み出して欲しい。いつだって、どんな時だって、泣いていたって。関ジャニ∞は笑えるくらい全速力で、見えなくなる位向こうまで走って行ってしまう人達だから。

 

 

 

 


新たに掲げた看板を見上げて、新品の帆を張り直す5人の船出に、追い風が吹く事を願って、この宝箱に鍵をかける。

関ジャニ∞、今までありがとう。「関ジャニ∞で良かった」と、言ってくれてありがとう。応援できたのが、私の人生になったのが、他でもない「関ジャニ∞」で良かった。

 

 

 

はじめまして。名前も知らない、けれど誰よりも知っている、誰よりも見てきた5人へ。

明日からも応援させてください。

 

 

 

 


2024.2.3.

「生きてる僕ら」を紐解く

先月、8月9日に49枚目のシングル「オオカミと彗星」がリリースされた。カップリング曲も多種多様で、どれも今の彼らが歌うからこそしっくり来る曲ばかりである中で、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤さんからの楽曲提供曲、「生きてる僕ら」がある。

2004年にデビューし、来年で20周年。今年19周年を迎える彼らと、この楽曲がこのタイミングで巡り会った意味を今一度考える。グループのために書き下ろされた、「生きてる僕ら」を紐解きたい。

 

 

 

 

日々の悩みを抱きかかえて

陽が昇るまで語り明かしても

僕らの思いはドバッて溢れ出すほど

よくある形には収まらないもの

 

 


苦節何年という表現があるが、そこに彼らの歩みを当てはめるには、あまりにも言葉の器の大きさが不足している気がする。彼らに限った話ではなく、人は19年も同じ事を続けていたら色々な事と遭遇する。別れも、理不尽も、涙も、悩みも、挫折も。それと同じくらいもしくはそれ以上の出会いや、喜びや、昂りも。

一つひとつの思い出や気持ちを1枚の紙に具現化した時、その1ページは1ミリにも満たないが、毎日それらが積み重なり19年分の分厚さになった時、本はきっと閉じられない程になっているし、その内容は一晩でなんかとても語り明かせない。


色々なことがあった。

それは、表に出ていて私達が知っている事も、彼らだけが知っていて、きっとこの先も公には知らされる事はないだろう事も。むしろ、殆どがきっと知らない事ばかりだ。

私達が知っているほんの少しほんの一部ですら、決まりきった形に綺麗に収まるようなものではない事は、容易に分かる。彼らの19年のすべてが、既存の何かの形に収まる事はまずないだろう。

それくらい彼らの19年は、波瀾万丈でありながら、笑い声が絶えない19年だった。

 

 

 

頬を伝った涙の跡

夜の風がさらっと撫でて

気づかぬ間に乾いてしまっても

 

 


笑い声が絶えない、というのは語弊があるかもしれないが、絶えた瞬間だってきっとある。

決して表立って涙を見せたりなんて事は少なかったが、それぞれが思い悩み、涙して、苦悩し、未来を迷った瞬間だってきっと、幾度もあったはずで。

気付かない間にその涙が乾いてしまった、と歌詞は続くが、ここでいう「夜」の意味を考えたい。この曲には「夜」という単語が何度も使われている。言葉の通り「夜の風」と受け取ると、人が居ない真っ暗な闇夜を静かに吹き抜ける優しい風、というイメージだが、きっとそういう抽象的な話ではない。

夜は一日の終わりを指す。夜になり陽が沈めば、必ずいつか朝が訪れて次の一日が始まる。けれど、彼らが19年踏ん張ってきた世界では、次の一日が保証される事は絶対にない。夜は明けないかもしれない、そんな世界で19年、彼らは朝を迎え続けている。

「夜の風」が「さらっと撫でて」。夜の風は涙の跡に同情する事も、慰める事もなくあっさりと吹き抜ける。そんな僅かな風で、すぐに涙の跡が乾くはずもない。「気づかぬ間に」というのは、一晩ですぐに乾いてしまったわけではなく、幾つもの夜をかけて少しずつ涙が乾き、いつ乾いたか分からないほどの時間の経過を示唆しているのではないか。そんな風に受け取れる。

 

 

 

夢のなかで

僕らは生きて

いつか夜に

魔法が溶けて

思い出したように大人になってさ

多くのことを忘れてしまう

 

 


彼らが生きてる世界を比喩で表した時、最も近い言葉が恐らく「夢」なのだと思う。

ああなりたい。こういう事がやりたい。そう思って全員が幾つもの夢を目指し、励み続ける。叶えた先で横並びになり大きなステージに立ち、埋め尽くされた客席と、光と熱の渦に圧倒される。ただ、夢はいつまでも続かず、覚める時が来る。夢はシャボン玉のようなもので、ずっと見ていたい程綺麗な色で光り、向こう側まで透けて見え、ふわふわと高くまでよく飛ぶのだが、何の前触れもなく目の前で突然割れて消えてしまう。

そんな不確定な存在の中で「僕らは生きて」いると歌う。


また歌詞の中に「夜」が出てくるが、先述したように「夜」は一日の終わりを指す。次の朝が来るかも分からない、保証もされていない「夜」を指す。「いつか夜に魔法が溶けて」。いつか夢の魔法が溶ける夜が訪れる。それがいつかは分からないけど、魔法は不思議と時間を隠すからこそ、夢が溶けた瞬間一気に時計の針は回り出して、思い出したように大人になる。彼らも、彼らを見ている私たちも。時間の経過とともに確実に年齢を重ねている筈なのに、魔法が効いている間はずっと楽しくて、ずっと夜が終わらなくて、針は止まったままである気さえする。けれど魔法の効果が終われば、夢は覚めて時計の針が進んだ分だけちゃんと大人になり、捲られたページ分の重さが途端にのし掛かる。

大人になり、全部忘れる事はなくても、だんだんと、取りこぼし、忘れていってしまう。人間は、そういう生き物だから。

 

 

 

それでも確かに

僕らは生きて

こんな夜に

魔法をかけた

綺麗さっぱり忘れてしまっても

僕らは君の何処かで光るから

 

 


「夢」という不確定な言葉に対峙するように続く「確かに僕らは生きて」という歌詞。

こんな夢の中でも確かに彼らは生きてきて、決してふわふわと浮遊したまま、地に足が着いていない訳ではない。「こんな夜」は、今まで過ごしてきた色々な夜の事を指すのだと思う。もうダメかもしれないと思った夜や、全員で未来について語り合った夜や、ステージ上からの景色を見て終わらないでと願った夜に、「また朝が来るように」「まだこんな夜が続くように」と魔法をかけ続ける。

そして、魔法をかけ、魔法にかけられているのは彼らだけではない。彼らの夢は、彼らだけのものではなく、同時に彼らを応援している人の夢でもある。「好き」の魔法の熱をずっと同じように燃やし続けるのは容易な事ではない。その人なりの応援のペースや距離感、好きに対峙する気持ちがあり、それぞれにどこかで折り合いをつけなければいけない瞬間や、離れていかざるを得ない場面が生まれていく。かつて彼らを好きだった、どこかの瞬間に少しでも人生が交わった人達へ、「綺麗さっぱり忘れてしまっても」。夢が覚めた直後はその内容をよく覚えているけど、時間が経つごとに記憶は曖昧になっていく。その夢を綺麗さっぱり忘れたとしても。彼らはその人達や遥か先の夢が覚めた先でも生きていく私達の、心や、人生や、思い出の片隅で光るからと、そう歌う。

 

 

 

見知らぬ誰かが隣にいて

似たような思いを歌に託してる

重なった思いも隔たった言葉も

お互いにどこかでわかっていることだよ

 

 


この歌詞から、コンサートの場面を想像する。

隣が見知らぬ誰か、なんて事もよくある事で。顔も名前も住んでる場所も、生き方も考え方も知らない誰かだけど、きっと今聴いているこの曲に、同じような思いを託している。話した事もない人と近く、同じ思いでいる。それって、本当はすごい事なんだと思う。

言葉や表現は違っても、どこかで願いたい思いや大切にしたい部分は似ていて、確認しなくたって彼らを好きでいればそれが自然と答え合わせになる。ここで言う「お互い」は明言されていないが、明言されていないからこそ、彼らと私達、もしくは、私達ファン同士を指す事だってできる。

 

 

 

夢のなかで

僕らは生きて

我に返っていつかは

さよならを知らなきゃいけない

その日が来るまでここで歌うから

辛いときには僕らを呼んでよ

 

 


夢は終わる。いつ終わるかなんて、夢の中では分からない。夜眠る時に夢を見ながらにして、現実の時間を知る事は出来ないし、もうすぐ朝が来て夢が覚めるのか、まだまだ夜中でもう少し夢を見ていられるのかなんて、誰にも分からない。

その事に対して「決して夢は覚めない」「終わらない」と魔法を歌い続ける訳ではなく、「いつかはさよならを知らなきゃいけない」という現実的な歌詞。分かっている。どんな物事もどんなグループもどんな夢もいつかは終わるし、いつかは別れを告げる時が来る。生きている以上、永久的に何かを続ける事は不可能だ。だからこそ、それを悲しい、嫌だ、見たくないと抗う訳ではなく「その日が来るまでここで歌うから」「辛いときには僕らを呼んでよ」なんて。それに真正面から立ち向かう言葉。


彼らは、いつもそうだった。どう考えたって本人達が1番辛いであろう瞬間も、こちら側に気を遣い、励まし、言葉を送り続けてくれた。1つの頑張れ、を送ったら100倍になってその言葉が返ってくる人達だった。けど、強がりでも何でもない。本当に辛いだろう時ですらあっけらかんと笑って、今まで集めた武器を背負って、また何度でも立ち上がって壁を壊す。

夢の中だけど、決してその言葉や姿勢は夢ではない。確かに彼らが生きてる証は、彼らに関わった全ての人の心に、少しずつ残り続ける。この歌詞を真正面から歌える人達の生き方だと思う。

 

 

 

夢のなかで

僕らは生きて

いつか夜に

魔法が溶けて

思い出したように大人になってさ

多くのことを忘れてしまう

 

それでも確かに

僕らは生きて

こんな夜に

魔法をかけた

綺麗さっぱり忘れてしまっても

僕らは君の何処かで光るから

 

 


魔法はいつか溶ける日が来る。その日が最後の夜だって、きっと来る。けど、魔法が溶けても、夢が覚めても、彼らと一緒に夢の中にいた事は忘れない。

あの時も、この時も、一緒に見てきた景色は同じだったから。ただの趣味というには、あまりにも時間を共にし過ぎたと思う。彼らを好きでいる中で、知らない場所へ赴き、新たな人と出会い、縁や思い出は増えていった。

彼らだけじゃなく、私達が手にする本も1ページずつの厚みはどんどん積み重なり、もう閉じることは出来ない。別にまだ本棚に戻す予定もないし、ずっと気が済むまで手元に開いておけば良い。ページを適当に捲るたびに、彼らを通して増えた全ての気持ちをまたすぐに見返して、これから新たに増えるであろう、まだ白紙のページに胸を躍らせる事だって出来る。

 

いつか終わる。

でも、まだ終わっていないから。

 

 

 

19年も経つのに、まだまだ青春の、夢のど真ん中で。魔法という名の努力を重ね、夜を朝へ変え続けて。まだまだ割れることのないシャボン玉は、手の届かない高さまで昇って、向こう側に見える空の色がどんどん変わっても、音楽に寄り添うようにして楽しそうにふわふわと飛び続ける。

目まぐるしく変わりゆく環境の中で、大切な事を抱き締めて、変わることのない笑顔で笑ってくれる。いつまで経っても、いつまで経っても。


厚みを増やし続け、もう閉じることのできない本は今日もまた夜の風にページを捲られて、誰かの心の中で思い出を呼び起こして光る。

彼らにとっての最後のページが付け加えられても、誰かにとっての最後のページが付け加えられても、その足跡が過去になる事はない。彼らは過去とか今とか未来とか、つまらない名前だけの時間軸なんか飛び越えて、いつでも誰かの心の中で生きている。

 

 

 

 

彼らにとっての、私たちにとっての。

あなたにとっての、誰かにとっての。


もう、手元の「好き」という箱に詰め込みきれないほど、両手に抱え切れないほど大きくなったそれは、何と呼ぶのが相応しいのか。色々な気持ちを教えてくれ、考えさせてくれ、認めてくれ、抱き締めてくれた。今日も新たなページが捲られて、どこかで笑い声が聞こえる気がする。

 


きっと、関ジャニ∞は人生なんだと思う。

19周年おめでとうございます。

 

今日は、6,940ページ目。

 

 

関ジャニ∞ - 生きてる僕ら[STUDIO SESSION]- YouTube

https://youtu.be/G9dZL4tbBoM?si=G9qWeHQrA0bvIwms

 


2023年9月22日

6515歩目の空へ投げられた大輪は

真夏で日は長いと言えど、もう既に太陽は落ち切った真っ暗な空。冷めやらぬ熱気を纏った5人の色鮮やかな柄違いの浴衣を背景に、端から規則的に吹き上がる水の粒が空中で眩しい照明に照らされてキラキラと煌いて、地面へ落ちていく。

音楽は途切れて、関ジャニ∞が両手を広げ、空を見上げる。大勢がつられるように上へ動かした目線の先で、打ち上がる前の甲高い笛の音が響き、真っ暗だった空に色が広がって、大輪が咲く。きっと、時間にすればたった数秒にも満たない事。それでも、無意識に呼吸すら止めていたその数秒の間に、この数年への想いは波のように押し寄せた。

 

 

悪天候の予報は覆らず、リハーサルはバケツをひっくり返したような大雨だった。カッパを着て、気を抜けば足を滑らせてしまいそうなほど濡れた、水たまりが至る所にあるステージで慎重に場当たりは進む。あまりの大雨にリハーサルが中断となっても、その時点で確かめられた箇所まで話し合いを進め、柔軟に変更点を模索していく姿。結局ゲネプロも大雨の中で行う事となったが、中断はせずに最後まで敢行され、そこには翌日の悪天候も踏まえての確認作業も含まれていたはずで、その努力と覚悟に頭が下がった。

当日の天気を考慮し、ギリギリで選択や判断ができるようにパターンを作り、まずは全員が無事に公演を終えられるようにと配慮する関ジャニ∞やスタッフ陣営の姿は、18年間積み上げてきた信頼と経験の上に成り立っているのだと知った。

公演当日、雨足はそこまで強くなく、滞りなく公演が進む。その裏側でも、メンバー同士で体調をカバーし合い、臨機応変に対応している関ジャニ∞の様子が映し出されていた。今までだってそうで、いつでも関ジャニ∞はその場でぶつかった壁に、全員の力で立ち向かおうとする。誰かの役割を代わりに担い、誰かの荷物をさらっと背負って歩く。それを、さも当たり前のようにやってのける。そして、その背負える量を、全員が18年かけて少しずつ増やしてきたのだと思う。新しい事を始め、何か少しでもグループに還元しようとする事も、例え難しい事であっても、一つでも選択肢を増やす事で演出の幅を広げようとする事も。関ジャニ∞は、続けてきたのだ。

 

 

関ジャニ∞は、あの日の賭けに勝ったか。


あの日。関ジャニ∞がこれから5人でやっていくと発表したあの日に感じた、「(関ジャニ∞を)続ける選択をしたからには、賭けに勝たなければいけない」という気持ちを思い出す。確かにあの日そう思った事に間違いはない。

でも、賭けって、何だったんだろう。関ジャニ∞は、何をしたらあの日の賭けに勝ったと言えるのか。私は、関ジャニ∞に、一体何に勝って欲しかったんだろうか。シングルが大ヒットする事?番組をいくつも持つ事?スタジアム公演を成功させる事?ドームツアーをする事?どれも一見正解なようで、きっと少しだけ違う。どれも関ジャニ∞という大木を形成するのに大事で必要な枝葉だけど、きっとそれよりももっと、見過ごしてはいけない根幹がある。一つひとつの枝葉を支え、地面に根を生やす、決して揺らいではいけない、

 

関ジャニ∞を「続ける」という幹が。

 

 

何かを18年間やり続けるというのは、決して容易な事ではないと思っている。ましてや、彼らを取り巻く環境は目まぐるしく変わり、関わる人達も、その立場も、発言力も、やりたい事も、18年間全く同じという訳には行かない。当たり前に全ては変わり続け、グループを閉じる覚悟をした瞬間もあったと話す。それでも関ジャニ∞は、「関ジャニ∞を続ける」事をやめたりしなかった。

「続ける」事は、大きな何かを成し遂げたり、記録を打ち立てたり、きっと他のどんな事よりも大変なのだと思う。当事者でない者にその苦労の全ては計り知れないが、その1番大変な事を18年間も止まらずに続けてきてくれた関ジャニ∞は、この夏、真っ暗な空に打ち上げられた花火をそれはそれは嬉しそうに見上げていた。

 

 

雛ちゃんは言う。『この18年、悔しい事も、辛い事も、腹立つ事もあったけど、こういう景色を見て、メンバーと共に過ごす時間はそれらを無かった事にしてくれ、それらは必要な時間だったと再認識させてくれる。やっと18年、まだ18年、もう18年。僕は「まだ」18年だと思っています。』と。

色々な事があった。公になっている事だけでも十分激動なのに、表には出ていない事も、きっと沢山あったのだと思う。どんな時でも落ち着いていて、どんな場面でもバランサーの役目を果たし、その辛さやしんどさを表面に大きく出す事はほとんどない雛ちゃん。それでも、コンサートでその目に映る景色が、関ジャニ∞で過ごす時間が、何かの支えとなり、少しでも糧になっていたのだとしたら。18年。長い長い年月だ。それを、「まだ」18年だと、前を見据えて強く言い切ってくれたその言葉は、ただのその場の口約束ではない、未来への確かな切符なのだと思う。


丸ちゃんは言う。『デビュー当時、Jr.の頃は一つひとつのペンライトの意味、団扇の意味、歓声の意味とか何も分からず無邪気にはしゃいでいたけど、続けていくほど、支えられるほど、その重さと後押ししてくれる強さに胸を打たれる。』『全く同じ気持ちでいて下さいとは言いません。でも、どんな形であれ、どんなタイミングであれ、どんなきっかけであれ、この7万2千人を皆で一緒に埋めてくれてありがとう。』と。

丸ちゃんはいつも、ファンの人生に寄り添った言葉をくれる。長年応援する事で、アイドルの人生に色々な事があるように、ファンの人生にも色々な事がある事を、丸ちゃんはよく知っている。違う人達を好きになったり、色んな事情で応援から離れざるを得なかったり、何かのきっかけで戻ってきたり、また、いつかの気持ちを取り戻したり。この「皆」が指すのは、言葉通りの7万2千人の事じゃない。あの日7万2千席を埋めた人達、あの日会場に行く事は叶わなかったけどその公演の成功を願っていた人達、そして、人生のどこかほんの少しでも、関ジャニ∞を想っていた時期があった全ての人達に、この言葉は向けられたのだと思う。


安田くんは言う。『俺らって人情に恵まれたグループ。皆の人情のおかげで僕らはここに立てて、18年走ってこれた。』『どんな真っ暗闇の中に自分が1人だと感じた事があっても、必ずその周りのどこかに関ジャニ∞という灯りが灯されている事だけは忘れないで。』と。

安田くんは、縁で人生を作っているような人だ。損得感情じゃない人間関係で結ばれた線をいくつもいくつも張り巡らせ、そこにきちんと温度を宿らせて、歩みを進めていく人だ。病気や、怪我や、自身が真っ暗な闇の中にいた瞬間もきっと何回もあったであろうけど、安田くんの暗闇を照らしたのは他でもない関ジャニ∞という灯りであったはずで、この安田くんの発言は、確かな経験則に基づいてのものなんだろう。「関ジャニ∞は人情に恵まれたグループ」というのは、ただたまたま恵まれているという話ではなくて、関ジャニ∞の人となりが運んできた、必然的な縁の結び合わせである事に、違いはないと思う。


横山さんは言う。『綺麗事で、努力は報われる、とは僕は思っていない。けど、努力をしないと頑張らないとこの景色は見られなかったし、やっぱり関ジャニ∞で良かったとこの景色を見て心から思う。』『これからも僕らは走り続けます。その為には皆さんの力が必要です。』と。

横山さんは、いつでも全てを頑張り続ける人だった。「頑張るを頑張る」という言葉は有名で、いつだって何か新しい事を、少しでも良くなる可能性を、一つでも選択肢が増える未来を考え続け、挑み続けている。5人体制になってからギターを始めた理由は「前の関ジャニ∞の方が良かったと思われるのは格好悪いから」。ギターの個人練習をやり過ぎて、そろそろその場が終わる雰囲気になっても「あと1回だけ」を繰り返し、そのピックが後日かなりすり減っていた事をスタッフさんから暴露されても、「偉そうな事言いたくない。だって、見えない所で皆やってる」と、決してその頑張りをひけらかなさい。そんな弛まぬ努力を重ねる横山さんが、この真っ白なペンライトの海を見て「関ジャニ∞で良かった」と、これからも呟けるように、変わらぬ関ジャニ∞であり続けられるように、力を添えたいと思う。


大倉くんは言う。『この景色を見られる僕らは幸せ者だなと思う反面、皆さんと会うこの景色じゃないと満足出来なくなってしまった。』『また僕達の姿を見て元気になって下さるなら、僕らをまた(このペンライトいっぱいの景色で)満足させて頂けないでしょうか。』と。

大倉くんはよく、ステージから見る景色の事や、ステージに立つ意味について言及してくれる。有観客での久しぶりのコンサートとなった時も、「綺麗事かもしれんけど、皆の表情とかコメント、送ってくれる愛情でここに立っていられる。」、「皆さんが支えてくれる限り、居てくれる限り、僕のステージに立つ意味は続きます。」と話してくれた。大倉くんはいつだって様々な角度から実直にステージと向き合ってきた。そこに立つ事の意味や、そこから見える光景と対峙し、感じた気持ちを素直に言葉にして届けてくれる。眩しい世界に身を置いているのに、大倉くんの言葉に過不足なんて存在せず、それらはきちんと地に足をつけたものだった。そんな大倉くんからの、未来に向けたこの悪戯っ子のような言葉は、いつも楽しそうに関ジャニ∞の中で大笑いし、嬉しそうに客席を見渡してその場所に立つこの人に、ずっとこの光景を見せたいと思わせるに十分過ぎる効力があったと思う。

 


関ジャニ∞は歌う。「あの日の僕に何を言う?」と。


あの日。関ジャニ∞を再出発させたあの日。

ファン以上に、関ジャニ∞だって不安に違いなかった。先が見えない中で、何から始めたら良いのか分からない中で、休む選択肢だって取れた中で、ただがむしゃらに走っていくしかなかった中で。立ち止まる選択肢を取らなかったあの日の5人に、今の関ジャニ∞は何を言うのだろう。


真っ暗で遠い空に、花火が上がる。

色がついて、大きな光が広がって、また消えていく。2004年9月22日に全国デビューをしてから、18祭最終日の2022年7月24日まで、17年と306日。日数にして、6515日。

6515日目に見上げた空に咲いた大輪は、あの日関ジャニ∞が誰か1人でもグループを閉じる話に頷いていたら、決して上がることはなかった花火。紛れもない、今日まで関ジャニ∞が続いた証だった。

 

 

「あの日の僕に何を言う?」


関ジャニ∞は、あの日の関ジャニ∞に歌っているのかもしれない。

 

 

「何も始まっちゃいないよ」と。

 


Age is just a Number.

年齢は、ただの数字だ。何かを始めるのに、何かをやり直すのに、立て直すのに、「もう遅い」なんて事はない。いつからだって、今からだって、きっと何だって出来る。関ジャニ∞は、それを体現して、証明して生きている人達だから。

見上げた花火の真っ直ぐな残滓が、涙でぐにゃりと歪んで映る。もしかしたら、6515日目の空に投げられた800発の大輪は、あの日「続ける」選択をした関ジャニ∞へ向けた、未来の5人からの喝采なのかもしれない。優しい眼差しで消えゆく花火を見つめた関ジャニ∞を見て、そう思った。

アイドル界のデカ盛り店「関ジャニ∞」を知っているか

皆さんはジャニーズ事務所所属、関ジャニ∞というアイドルグループを知っていますか。そう、楽しくて面白くて騒がしくて、でも真っ直ぐで、見ている側も自然と笑顔になってしまう、あの関ジャニ∞です。ここ数年は色々とあり、勿論以前と変わった事もありますが、関ジャニ∞というグループを語るにあたって昔から変わっていない事があります。それは、「CD・DVDに付属している特典映像の内容量がデカ盛りレベルである事」です。デカ盛りとは、よくテレビ番組やSNSで目にする機会も増えた、一つの皿に通常よりも格段に多く、溢れそうな程に料理が盛られたあれですが、関ジャニ∞の特典はその「デカ盛り」と称されても異論ないほどに、一つの皿(リリース)に、これでもかと内容が詰め込まれている事で有名なのです。今回は、アイドル界の有名デカ盛り店「関ジャニ∞」の特典について記載していきたいと思います。

 

 

●デカ盛りその1 ・わんこ巨大お冷「各会場MCダイジェスト」

関ジャニ∞のコンサートDVDに必ずついている特典。席に着くと必ず出てくるお冷のようなデカ盛り「各会場MCダイジェスト」。お冷はデカ盛りじゃないですよね?と思った人は、その感覚を一回忘れて下さい。このお店では、お冷もデカ盛りです。関ジャニ∞名物、全公演のMCが長尺でついてきます。例えば、過去リリースのMCダイジェスト尺を見ていきましょう。FIGHT(1時間54分)、8EST(3時間11分)、JUKE BOX(2時間25分)、関ジャニズム(3時間14分)、元気が出るLIVE!!(1時間39分)、 関ジャニ'sエイターテインメント(2時間39分)、ジャム(1時間30分)、GR8EST(2時間17分)、十五祭(1時間8分)。これ全てコンサートの本編分数ではありません。本編とは別の、MCのみの分数です。ダイジェストとは。改めて本当によく喋る関ジャニ∞、そりゃあアンコール込みで2時間40分程度で開催していた直近のツアーが、MCで盛り上がりすぎて最長3時間越えになったりもした程なので、この長さは至極当然なのかもしれません。何だかこのMCダイジェストの長さだけで十分特典として成立している気もしますが、先程記載した通り、関ジャニ∞のリリースにおいてMCダイジェストという特典は席に着いたらすぐに出されるお冷のようなものなので、その後に別のデカ盛りがやってきます。お冷がなみなみ注がれたびっ●りドンキーの「森のリ●ゴスカッシュ」(ピンと来ない方はお調べ下さい)のような容器がわんこそばのように次々運ばれて来ますが驚いてはいけません。この水を全て飲み切って初めて、アイドル界のデカ盛り店「関ジャニ∞」のデカ盛り(特典)に挑めるのです。

 

 

●デカ盛りその2・山盛りご飯と海の幸を巨大ボウル一面に敷き詰めた夢のデカ盛り海鮮丼「JUKE BOX(2014年)」より「24時間共同生活」

アイドルが色々なミッションをこなしながら、ただひたすら24時間共同生活を送っている映像を全て収めた夢のような特典(本人達にとっては罰ゲーム)があります。持ってきた荷物や携帯は全て没収、嵐のようにやってくる、罰ゲームを逃れたメンバーや外からの突然のミッション、真冬の野外で薄着になり地獄の運動会、関西弁禁止ゲームで関西弁を連発し毎秒発生する新たな罰ゲーム、作詞作曲、露天風呂、飲酒、寝床をかけて叩いてかぶってジャンケンポン、翌朝の起床から寝ぼけ眼の朝食まで、ファンの願望を一つずつ具現化したような内容を24時間を収めた夢の海鮮丼特典は編集されていても尚2時間53分という超デカ盛り。こんなに長尺なのに間延びせず、笑えて泣ける関ジャニ∞のバラエティ力たるや。もはや特番です。一つ一つのネタは丼からはみ出るサイズの大きさで、且つ、しっかり面白さの鮮度が保たれています。その他、企画とは別でツアーメイキングも1時間34分付き。関ジャニ∞のデカ盛り特典の中でも、発売当初から根強い人気を誇る1品です。

 


●デカ盛りその3・調理工程全見せ、且つ、その日しか食べられなかったはずの日替わりメニューも全て皿の上に乗っている贅沢デカ盛り「関ジャニズム」(2015年)

ジャニーズだからダンスの振り入れ初見からある程度踊れて当たり前、というある種偏見を根底から覆してくれる清々しいダンスメイキングが山のように収録されています。「今日採血したんです〜!!採血したって言ってるやろ!!」と駄々をこね、途中からついていけなくなるとオリジナルダンスに変更、次々進んでいく振り付けに発狂し大声で逃亡、曲途中に笑いすぎて床に転がり、スタッフさんに本気で「やっとかないとやばいよ本当。覚えとかないと」と怒られ、カメラがいるから汗だくになっても完璧に出来るようまでになるまで絶対に帰らない意地も発揮する。これが関ジャニ∞の振り入れ調理工程の真髄です。この調理工程を知ってから、本編の作り上げられたステージを見るとその努力がよく分かります。ジャニーズ、決して軽々踊っている訳ではありません。

また、この作品のすごい所は通常日替わりとされている演出やクリスマス公演だけで披露されたもの、ダブルアンコールに至るまでの一悶着からのポップアップなど、その公演だけで起きた貴重なあれそれが収録されている所。きっとその公演に入っていなければ見られなかったはずの日替わりメニューをしっかりお皿に乗せてくれる、コスパなんて度外視の店「関ジャニ∞」。

 

 

●デカ盛りその4・ジャニーズ界のコ●ダ珈琲かもしれないリリース作品「Re:LIVE」(2020年)

特典量がものすごい事で有名な関ジャニ∞の中でも、前代未聞のリリース作品。関ジャニ∞が再始動した時に発売された「Re:LIVE」というシングルの、期間限定盤AとBがジャニーズ界のコ●ダ珈琲と言っても過言ではない特典量になっています。まず期間限定盤Aには、コロナ禍で中止になるまでのツアーに密着した180日間の映像が3時間25分のBlu-rayとして収録されています。もはや3時間25分のBlu-rayがメインのようにもなっていますが、あくまでこれはシングルの「特典」だと言い切る関ジャニ∞。メインは新曲です。そして期間限定盤Bには、そのツアーから2公演分丸々の映像が「特典」として付いてきます。その収録時間は1時間35分と1時間31分。ダイジェストではありません。2公演丸々収録です。この期間限定盤AとB、これだけ山盛りの特典にしていたらさぞや高額になるかと思いきや、それぞれたったの3000円。発売当時、ファンからは赤字を心配する声も多く、実際メンバーがラジオで「決算赤字」と言い切った程。本当なら映像作品としてそれぞれ個別でリリースしても十分な映像量なのに、ツアーが中止になった事を受けて、撮り溜めていた密着映像を「ストックしてても仕方ないから一度見てもらおう」と早々にCDの特典として破格の値段で発売した関ジャニ∞は、値段が安いのに出てくる量はお腹がいっぱいになる、良心の塊コ●ダ珈琲そのもの。しかも、ここまで大満足の特典内容に破格の値段設定で「俺らは値段の価値を決められない。これを安いと取るか高いと取るかは見て下さった方次第。」とまで言う人達。安いです。断言します。安い。

 

 

●デカ盛り番外編・大盛りパスタ15杯おかわり「関ジャニ∞リサイタル お前のハートをつかんだる!!(2015年)」

ファン側ではなく、物理的に本人達が(歌の)デカ盛りを食べているこちらの作品。特典の多さとは関係ありませんが、コンサート本編でとある曲終わりに「おかわり!」と叫んだ分だけその曲を複数回歌わなければいけないという異次元の出来事が発生したこのツアーにおいて、その最高記録15回を更新した奇跡の岩手公演がコンサート本編に選ばれています。スタッフさんありがとうございます。そのおかわりした曲は、「愛しのナポリタン」(2007年発売・期間限定ユニット『トリオ・ザ・シャキーン』によるシングル曲)。言葉の通り、関ジャニ∞が限界に挑戦したナポリタンのおかわり地獄。延々鳴り続ける愛しのナポリタンのインスト。無限ナポリタン。おかわりした皿の枚数が増えていけば増えていくほどに汗だくの疲労困憊モードに突入し、口数が減り、宇宙と交信し、ふざけ始める関ジャニ∞。アイドル界のデカ盛り店として名を馳せる関ジャニ∞の、フードファイターとしての一面を垣間見ることが出来る爆笑必至の15杯です。おかわり。

 

と、全てを紹介は出来ませんでしたが、今までこんなに沢山のデカ盛りを販売してきた名店「関ジャニ∞」から本日5月18日、新たなデカ盛りが発売されました。その名も「KANJANI'S Re:LIVE 8BEAT」

 

 


まず、完全生産限定 -Road to Re:LIVE- 盤。

本編のコンサート映像はたっぷり2時間56分。それに加え、コンサートの打ち合わせからリハーサル、全会場での密着ドキュメント、さらには映像化が望まれていた昨年開催されたテレ朝ドリームフェスティバル 関ジャムFESから、関ジャニ∞が単独で出演しているライブ部分(9曲)を収録し、その収録時間はなんと2時間40分。本編とほぼ同じ長さの特典量は大満足間違いなしです。映像とは別に、ステージ裏に密着したドキュメントフォトブックも68ページも付いてきます。既にお腹いっぱいになってきました。

さらに初回限定盤には、本編2時間56分に加え、本編からRe:LIVE、YES、君の歌をうたう、Let Me Down Easy、赤裸々、勝手に仕上がれ、キミトミタイセカイ、関ジャニ∞ on the STAGEの8曲を5人分のソロ仕様マルチアングル化。さらに本編で「君の歌をうたう」が収録されている部分は、ツアー後半より「Cool magic city」に変わりましたが、最終公演地のセキスイハイムスーパーアリーナからその「Cool magic city」とオーラスダブルアンコールだけ披露された「無限大」を収録。さらにさらに配信公演購入者だけに披露されたソロ曲のスペシャルMVとお馴染みMCダイジェストも勿論つけて、5時間17分の超大容量。本編と合わせると、初回限定盤の収録時間、8時間13分。ここまででも既に丼から具材がこぼれているけど、どんどん具材は追加されます。関ジャニ∞は、リリース作品の音源や映像を手持ちの端末に取り込める「関ジャニ∞アプリ」というもの出しているのですが、この関ジャニ∞アプリで初回限定盤を読み込むと、アプリ限定の特典が2つ付いてきます。コロナ禍での開催となった8BEATでは、会場付近が密にならないようにと入場時間が30分間隔で区切られていました。遅い入場の人は来場時間を遅らせるなど外で自由に過ごせますが、早い入場時間を割り当てられた人は一度入ったら中で何もする事がありません。その人達を退屈させまいと、関ジャニ∞は今回リアルタイムで展開されるグループチャットを開演前の会場内メインモニターに公開。5人が各々好きに打ち込んでいくやり取りをリアルタイムで見られ大人気だったコンテンツ履歴が、なんと全公演分収録される事に。これがアプリ特典の1つ目です。各会場に足を運ばないと見られなかったコンテンツを、しっかりと手元に映像として残るようにしてくれた関ジャニ∞のデカ盛り店さながらの気概たるや。もう1つは、アルバムからの新曲「町中華」より、曲が始まる前に丸ちゃんを中心として毎回コント風のやり取りや独特な掛け声などがあったものを20分も収録しています。これをアプリ限定の特典にしようと考えて下さった方、ありがとうございました。チョイスが絶妙です。(以下参考資料)

 

関ジャニ∞ - KANJANI'S Re:LIVE 8BEAT 町中華曲フリ集「町中華に行こう!」Teaser - YouTube


そして通常盤では、本編2時間56分に加え、特典として「凛」「YES」のMV、「YES」のソロアングル13分が収録。先程記載した関ジャニ∞アプリ限定特典は初回限定盤だけではなくこの通常盤にもあり、ツアー中に撮影された477枚の写真によるアルバム「8BEAT ぬいの大冒険」「『YES』ブロマイド(集合4枚・ソロ各3枚)」が見られます。3種分の円盤特典・アプリ特典・コンサート本編の合計時間はなんと、11時間29分59秒。ノンストップで見続けても半日かかります。これをデカ盛りと呼ばずして、何と言うのでしょうか。


ここまで長々と大量の特典を「デカ盛り」と称して記載してきましたが、この特典量を提供し続けるその裏には、常に関ジャニ∞関ジャニ∞を取り巻く人達の人知れない努力があります。

企画をただ多く作れば良い訳ではありません。ただ単に撮影された分だけの裏側の映像をつけている訳でもありません。今までと同じではない新しい何かを常に模索し、自分達も、そして見ている人ももっと楽しくなれる関ジャニ∞を追求し続ける姿勢があるから。どんなに満身創痍でもステージに立つ間はその姿を見せず、どんなに挑戦した壁が大きくても弱音を吐かず、アイドルとは、生きるとは、今できる事に向き合うとはどういう事かを考え続けているから。だから関ジャニ∞の毎回のリリースには、模索した分だけ、成長した分だけの関ジャニ∞の姿がそのままついてくるのだと思っています。


今回のツアーメイキングではまさにそんな関ジャニ∞の姿勢や考え方が色濃く映し出されています。関ジャニ∞全員が様々な方面から色々な事に挑み、お互いの事を思い合い支え合い、それぞれの成長を関ジャニ∞に繋げていこうとする強さ。そしてそれを余す事なく形に残してくれる、関ジャニ∞を取り巻く人達の存在。どちらが欠けても、成し得なかったリリースです。

関ジャニ∞の作品を買う人は勿論関ジャニ∞の事が大好きですが、関ジャニ∞に携わる人達からも、そして関ジャニ∞自身からも、「関ジャニ∞が大好きだ」という事が伝わるから、関ジャニ∞は楽しく面白く、そして愛しいのだと思います。


関ジャニ∞の特典量の多さは、関ジャニ∞関ジャニ∞を取り巻く人達の企業努力であり、それは関ジャニ∞自身へ向けられた愛の量なのかもしれません。

蓋を開けるまで予測不可能で未知数、超重量級のその一品は、お腹いっぱいになること間違いなし。

 

 

その名店の暖簾を、あなたもくぐってみませんか。

 

KANJANI’S Re:LIVE 8BEAT | 関ジャニ∞ (エイト) / INFINITY RECORDS 公式サイト

その鼓動が届く先を知る

関ジャニ∞の通算10枚目のアルバム「8BEAT」が本日11月17日、リリースされた。前作オリジナルアルバム「ジャム」から凡そ4年半ぶりとなるこのアルバムは、制作陣が「今の関ジャニ∞がどう見えるか?」というテーマの元、関ジャニ∞に提供した楽曲がこれでもかと詰め込まれた1枚となっている。

以下、原稿用紙37枚分になってしまった、Re:8EST editionを除いた全21曲の宣伝を込めたレビューです。

 

 

 

【全形態共通】

 

  • 8BEAT

アルバム名にもなり、1曲目を飾るこの曲、なんと作曲・編曲があの亀田誠治さん。この時点で既に「最高」が約束されている。横山さんのトランペットソロから始まり、ドラムが後を追いかける。ギター、キーボード、ベースが次々に音を重ねて行く。パズルが組み立てられるような、音がハマっていく気持ちよさ。音源だけなのに、ステージに立つ関ジャニ∞がそこに見える立体感が耳に届く。レコーディングで亀田さんが「ドームが見えるよ!」と叫んだエピソードがある程。でもこれは分かる。ドームが見える。今回はアリーナツアーでも、近い未来にドームで8BEATを鳴らす関ジャニ∞が確かにそこに見える、重厚感のあるサウンド。5つの音が混ざり合い絶妙なバランスを保って、きちんと関ジャニ∞サウンドとして成立している。始まりに相応しい、まさしくこのアルバムの顔となるインスト。

 

  • 稲妻ブルース

映画「土竜の唄」主題歌。キングオブ男!、NOROSHIに続いて3作連続で主題歌を務め、今回がその集大成。今一番音楽特番で披露する機会が多い、このアルバムのリード曲でもある。この曲が映画の主題歌になるまで、これでもないあれでもないと60曲以上のデモを聴いて選んだという一切妥協無しのエピソード付き。制作に拘るあまり、締め切りを過ぎてしまったという話も飛び出る程で、関ジャニ∞がこの曲にかける熱量を知る事ができる。靴を履いたままの足でドアを蹴飛ばすような、突然銃声を轟かすような勢いの掛け声で始まるイントロ。ギラギラしたイカついビックバンドサウンドに、贅を尽くした世界観のセットと衣装。地を這うような、野望を燃やすような真っ直ぐな歌詞。「夢は見るんじゃなく叶えろ」「愛は語るんじゃなく伝えろ」「俺とお前が」「出会えたキセキ」「最高で最強のこのキズナ」どんな言葉よりも関ジャニ∞を表しているこの歌詞を、5人で分けて歌っている。この世界観にいる関ジャニ∞を、嫌いな訳がない。

「ド派手にかますぜ祭りだぜ」という歌詞を、ここまでこの曲の強い世界観に負けずに歌えるのは関ジャニ∞だけかもしれません。ただのハッタリではない、彼らは本当に派手にかますし祭りにする。この曲に袖を通した関ジャニ∞が、涼しい顔で幾つものドアを蹴破っていく様は大変爽快。

治安の悪い関ジャニ∞は如何ですか?お好きなら是非ハマるべき1曲。ちなみに、テレビサイズでは放映されない2番のAメロとBメロの歌詞にとある仕掛けがある。正真正銘、伝説の3部作と言える。

 

  • 友よ

シンプルな衣装、マイクスタンド5本とバックに背負った同タイトルの文字。無駄なものを削ぎ落としたからこそ、曲のメッセージ性は強くなる。「なぁ友よ」という安田くんの印象的な歌い出しで始まるこの曲は関ジャニ∞の5人体制となって初のシングルであり、ドラマ「俺の話は長い」の主題歌である。

世の中には山のように応援歌と言われるものが多数存在するが、友よは応援する側と応援される側の矢印が存在しない珍しい曲だ。というのはこの曲は、関ジャニ∞が一見不特定多数の誰かに向けて歌っているようにも見えて、同時に、回り回って関ジャニ∞に対して歌われている楽曲でもあるからである。酸いも甘いも噛み分けた関ジャニ∞から真っ直ぐに飛んでくる「人生って最高だろう?」「だからやめられないんだろう」の矢印を受け取った時、この矢印を同じ勢いで関ジャニ∞に投げ返したくなる。この曲は、関ジャニ∞の覚悟と意地を表しているように思えてならない。だからこそ、この曲を聴く誰かに届いた分だけ、同じ想いが関ジャニ∞にも届いて欲しい。関ジャニ∞がもし終わっていたら、この世に存在しなかった曲であり、表に出る事はなかった関ジャニ∞の決意の曲。がむしゃらだけど、まだまだ足掻くけど、それでも良い。人生ってそういうものだから、と思える、等身大のメッセージソング。

 

FUJI Network.Song for Athletesとして起用された曲。今年の東京オリンピック中継やフジテレビのスポーツ番組で耳にする事が幾度となくあった。「凛」というタイトルからも分かる、息を飲むような神聖でピンと糸が張り詰めたような曲のイントロ。関ジャニ∞のコーラスから始まり、壮大な展開と固く結んだ決意を予見させる。起用されている通り、アスリートの方々やMVにも登場するように医療従事者の方に向けられたメッセージ性の強い楽曲ではあるが、これもまた「友よ」で先述したように、同時に関ジャニ∞へ返っていく楽曲だとも思っている。オリンピックを思い浮かべながら聴くと勿論応援ソングなのだが、この歌詞は大多数に当てはまる普遍的なものとなっている。この曲の歌詞に登場する「君」や「僕ら」は、ピンポイントで聴いた人に自分のことを歌っていると刺さりながら、幅広く多くの人に届く性質も持ち合わせている。関ジャムでもよく言われていた「誰にでも当てはまるような歌詞でありながら、この歌は自分の事を歌っていると思わせる事が大切」という事が思い出される楽曲。主語の範囲を広げられるのは、この曲が持つメッセージ性の強さと、関ジャニ∞の曲を届ける力があってこそだ。個人的にこの曲のMVの最後に安田くんがスターターピストルを放つ演出が好きだ。曲の最後に「よーいドン」を持ってくるあたり、この曲を聞いた誰かの、この曲が届いた誰かの、また、この曲を歌う関ジャニ∞の戦いは終わる事はないと示唆している気さえする。

 

  • キミトミタイセカイ

大倉くん主演ドラマ「知ってるワイフ」の主題歌。

始まりは繊細で優しげな音運び。落ち着いていて、大変耳心地が良いメロディーライン。一番のサビの後は関ジャニ∞のコーラスと共に一転して音の広がりを実感することができて、壮大な印象を受ける楽曲。二度美味しい。

また、大倉くんをはじめ関ジャニ∞の歌声の変化を一番感じることができる楽曲でもある。特に大倉くんは元々地声も低く安定していた低音パートや下ハモリを長年任される事が多かったが、17年のキャリアであっても、ここへ来てグループの為にと、ボイストレーニングに通い血の滲むような努力を経て、大サビの高音フェイクを担当している。ボイストレーニングに通う前は高音を歌う機会があっても本当に声を出しづらそうにしていた印象があったが、今は難なく歌えてしまっている。尚且つ喉の使い方が変わったので、今まで担当していた低音にもより深みが出ていて圧巻されっぱなし。関ジャニ∞全員の歌が格段に変わりはじめたのがこの「キミトミタイセカイ」でもある。彼らにとって間違いなくターニングポイントであり、楽曲の壮大さに負けない全員の変化を感じ取ることができる1曲。歌い方に変化はありながらも、きちんと5人のバランスが取れており、今後への無限の可能性も感じる。関ジャニ∞が送る、本気のラブソングバラード。

 

  • Let Me Down Easy

川谷絵音さん作詞作曲。EDM調をベースとして、テンポ展開や曲展開が細かく行われていく難解な1曲。ボイスチェンジによって加工された関ジャニ∞の歌声がまたこの川谷さん節炸裂の楽曲とマッチしている。声の低さが強調されて心地良い重力を感じる横山さん、安定した歌い方が無機質になり曲の雰囲気に合っている安田くん、砂糖のような甘い歌声に適度な湿度を纏わせる丸ちゃん、話し口調のようで落ち着いた歌声を響かせる雛ちゃん、前後の呼吸まで含めてお洒落になってしまう大倉くん。関ジャニ∞のボイスチェンジ、また新たな良さの開拓では?と思うほどの相性。個々の良さが更に際立っている。

どこか不思議な夜の雰囲気を纏う、ふわふわとした浮遊感を漂わせているかと思えば、途端に地に足をつけ重力を孕ませるラップ調へと展開する。歌うだけでも大変そうなこの曲、ダンス曲だと言うのでまた大変そう。川谷さんにとって、今の関ジャニ∞に書こうと思ってくださった曲がこんなに難解なダンスナンバーだったという事が、嬉しくて仕方ない。アウトロのピアノがまたお洒落。最後の1秒まできっと関ジャニ∞の格好良さに気が抜けないものになりそう。油断したら撃ち抜かれる事必至。

 

  • YES

関ジャニ∞にお洒落な曲は似合わない。関ジャニ∞は楽しくて元気で明るい歌が似合う。そんな固定概念をお持ちなら、是非この曲で捨てる事をお勧めする。作詞いしわたり淳治さん、作曲今井了介さんの大人っぽくてお洒落なダンサブルナンバー。それぞれの伸びやかな歌い方と重厚感のあるハモリが特徴的。あまり知られていない気がするが、関ジャニ∞ドゥーワップやハモリがとてつもなく上手いグループ。元々歌声の高低の役割がハッキリ別れているグループだったが、最近のボイストレーニングを経て全員がオールラウンダーになった印象を持つ。とにかく歌声がチョコレートのような甘さを持つ横山さんが歌い出しを務め、この曲の世界観の構築を一手に担っている。そしてバトンを繋ぐのは安定した歌唱力と突き抜けながらも優しい高音が得意な安田くん。リズム感が完璧、軽快かつしっかり重力を孕んだ落ち着いた丸ちゃんの歌声と、ここ最近の伸び代がとてつもなく大きくて音程正確率が高い雛ちゃん、心地良い低音の中に感情を乗せるのが上手い大倉くん。サビで5人の声が重なった時のこの感動たるや。曲の世界観を歌声で語るには、その人の人生の経験の幅や深みが必要だと個人的に思っているが、それが色濃く出ている楽曲。いい歳の重ね方をした今の関ジャニ∞だからこそ歌える。この曲でプロポーズができるのは、今の関ジャニ∞だけ。何万回でも言う。関ジャニ∞、歌が上手い。

 

前作「ジャム」での「えげつない」という曲においてとんでもなくバッチバチの化学反応を起こした岡崎体育さんと関ジャニ∞のタッグ再来。メロディーをはじめ、とにかくお洒落かつ大人っぽい関ジャニ∞が感じられる楽曲。本当に?メンバーの発音も流暢で、関ジャニ∞って英詞も歌えるんだと度肝を抜かれる楽曲。本当に?本当にストレートにお洒落なディスコナンバー?と疑ってかかろう。

アルバムの詳細が発表された時、岡崎体育さん提供曲のタイトルが「町中華」だった時点で、恐らくぶっち切りにファンからの期待を寄せられていた曲ではないかと思う。お洒落な楽曲です、とすんなり終わる訳がない。歌詞カードの中で唯一この曲のページだけが袋とじになっている時点で、最高の仕掛けが約束されている。関ジャニ∞自身もこの曲のレコーディングを「何もよう分からんと歌ってた」との事。歌ってる本人達がよく分からないものを、一発で理解しようとするのが間違っている。謎を解きたい人は、何も言わずにまずはとにかく一聴するべし。そして袋とじを開けて歌詞カードを読んで、衝撃と共にまた聴き直して下さい。2度、3度と聴く度にその仕掛けの面白さと奥深さに平伏する事間違いなし。町中華が食べたい。

 

前山田健一さん作詞作曲。例えば無作為に抽出した100人のファンにアンケートを取ったら恐らく93人位が「歌詞の通りに登場すると思う」と回答する可能性のある楽曲。そして間違いなく歌い出しの歌詞通りにコンサート会場に現れるであろうハズレ知らずの掴みの1曲。「ポップアップ決めてドヤ顔」。絶対にポップアップでステージに登場し、ドヤ顔を決める関ジャニ∞が見られる事間違い無し。ヒャダインさん特有の中毒性のあるメロディーラインと統一性や規則性皆無の怒涛の曲展開が、関ジャニ∞の騒がしさと楽しさに絶妙にマッチしていて相乗効果を発揮している。ヒャダインさんと、関ジャニ∞。どちらが欠けても成立しないこの楽曲の良さの裏には、関ジャムきっかけですっかり仲良くなった双方がワイワイガヤガヤと楽曲制作に当たった背景がある。関ジャニ∞の良さを熟知した人が作って下さった、関ジャニ∞にしか歌えない曲。このアルバムが発表された時のヒャダインさんのコメント「楽しいですよ!ただ楽しい!関ジャニ∞っていいグループですねえ」。この短いコメントにどれだけの想いが込められているか。作り手の関ジャニ∞への愛も同時に感じる事ができる。無作為に抽出した100人のファンにアンケートを取ったら間違いなく100人が開始1秒で実感する。これは私たちが大好きな関ジャニ∞だと。

 

  • ひとりにしないよ

横山さん主演ドラマ「コタローは1人暮らし」の主題歌。優しく落ち着く、落ち込んだ背中に手を添えるような、誰かに寄り添うような丸ちゃんの甘い歌い出しに穏やかでメロディアスなイントロ。今までの関ジャニ∞にありそうで無かったテイストの楽曲。応援ソングは沢山ある関ジャニ∞だが、無理矢理引き上げる強引さは決して無く、雨の中でその人が自ら顔を上げるまでずっと傘をさして待っていてくれるような優しさを持っている。「ひとりじゃないよ」ではなく「ひとりにしないよ」そして「一緒に強くなろう」。口で言うだけじゃなく、ちゃんと隣にいてくれる。上辺じゃなくて、行動に移してくれる。まるで関ジャニ∞自身のようで。優しくて、絶対に立ち上がるまで待っていてくれる人達。関ジャニ∞が歌うから、この曲のメッセージ性が決して上辺じゃなくなるのだと思っている。

ボイストレーニングにより、関ジャニ∞全員の歌い方が変わりつつあった時期のリリース曲だが、個人的に大倉くんの歌唱力の向上を一番感じたのがこの曲かもしれないと思う。と言うのは1番Bメロ、雛ちゃんが主旋律を歌っているパートで上ハモを担当しているのは大倉くん。この曲が発売されるずっと前、ラジオで初オンエアとなった時の話。安定したハモリを初めて耳にしてから、この上ハモはずっと丸ちゃんだと思っていたが、いざ歌番組で蓋を開けたら大倉くんだった事があった。あの低音ハモリばかりを担当していた大倉くんの上ハモが、丸ちゃんと聴き間違うくらいに違和感がなくなっている。今まで「高音は出ない」と苦しんでいた姿からは想像できないほどの変化に、歌に対して真摯に向き合ってきた時間の、想像を絶する努力を思って、関ジャニ∞はまだまだ成長をやめる気はないグループなんだと、胸にくるものがある楽曲。

 

  • ココロに花

城島リーダー作詞作曲、ドラマ「サムライカアサン」主題歌。城島リーダーがTOKIO以外に楽曲提供するのは今回の関ジャニ∞が初めてなんだそう。暖かくて前向きになれるメロディーに、決して背伸びをしない真っ直ぐな言葉達が並ぶ歌詞。「今日がダメでもいいじゃない」「明日また頑張りゃ良いんじゃない」。真っ直ぐなリーダーが関ジャニ∞の為に、と書いてくれた歌詞が、沢山の言葉のプレゼントのようで嬉しい。青い空の下、顔を突き合わせて笑顔で、バンドでこの曲を演奏している姿がとてつもなく似合うし想像が容易。

小細工や誤魔化しが効かないストレートな曲調だからこそ、関ジャニ∞の真っ直ぐなユニゾンやハモリがまた映えると思っている。「向かい風もどんな壁も越えるため其処にあるから」、「今日の失敗なんて明日のための隠し味」。この歌詞は関ジャニ∞が歌うからこそ元気が出る。アスファルトを押しのけて大地に根を張ってきた関ジャニ∞が歌うから、今日もまた頑張るか、と思わせられる。どんな人の、どんな失敗も、どんな後悔も、どんな苦悩も、決して否定しない。そんな日もある。そんな事もある。気にしないで忘れて、じゃなくて、まあそれも抱き締めて進もう、というメッセージが伝わる曲。

 

  • Re:LIVE

関ジャニ∞44枚目のシングルであり、「がんばろう日本! We are OSAKA」のテーマソングとして起用された曲。感染が拡大し自粛を余儀なくされた去年、関ジャニ∞が「会えない時だからこそ何か出来ることはないか」とファンとの楽曲制作に乗り出したのがきっかけとなっている。ファンから募った言葉達をもとに作詞を担当したのは関ジャニ∞メンバーではあるが、作詞のクレジットがファンとの共作である事を示す「Eight × Eighter」となっている事からも、関ジャニ∞が「ファンと共に」という気持ちを大切にしてくれた事が伝わる。「正しい理由誰も判らないでしょう」「信じてくれた勇敢な君を」「僕らが連れ出すよ」の歌詞にメンバー全員の名前が使われているのもまた遊び心があって素敵。

同曲は今回のアルバムを引っ提げて回る全国ツアーのコンセプトにもなっている。Re:LIVE。もう一度ライブの舞台へ。もしかしたらこの曲は、発売から1年3ヶ月の時を経て、有観客の会場で歌って初めて完成するのかもしれない。

蛇足だが、体感的に「ジャニーズに興味はなかったけれど、この曲で関ジャニ∞のことを好きになった」という人が周りに多く居たような気がしている。関ジャニ∞を知らない人にも伝わる位、メッセージ性の強い曲なのだと改めて思う。

 


【完全生産限定盤 Disc2(ソロ曲)】

 

まず作詞横山さん、作曲安田くんの時点で良曲であることは間違いない。温かでどこか懐かしさを感じるイントロに、横山さんの甘くて優しい、低く響く声が心地良い。それなのにサビでは綺麗なファルセットを披露していて、横山さんもまたボイストレーニングを懸命に続けているのだと実感する。元々甘くて良い声質を持っていた横山さんは、水をどんどん吸収するスポンジのように自分の中に新たなものを取り入れようと更なる変化を遂げている。

歌詞をつけるにあたって、横山さんは昔から自分の経験や本音を一つの言葉に乗せたり重ねたりするのがとても上手い。単純に過ぎた過去を懐かしむのではなくて、日常の中でふと目に入る思い出がスイッチとなって、昔を思い出す。昔は冬になると一緒にみかんを食べたけれど、もう君はみかんじゃなくてもっと高価なものを手にしているのかな。僕はまだみかんのままだ、みかんのままでいいやと歌う。ずっと過去に止まったままの自分と、もう未来を歩いている君の対比を、みかんという一つの言葉に乗せて表している。それがとてつもなく絶妙で、距離感が遠過ぎなくて、現実味がある。横山さんのこの等身大の言葉選びに、そっと寄り添うように優しく流れる安田くんが作ったメロディー。やはりこの2人のタッグ、外れがある訳がない。名作。

 

90年代J-POPのトレンディー感をこれでもかと詰め込んだ雛ちゃんのソロ曲。もしかしたら90年代にフリーシーズンが流行ってたかもしれない…?という記憶の改竄まで出来そう。中毒性があり過ぎるメロディーの繰り返しの中で、雛ちゃんが恐らく自分のやりたい事を出し切ったのだろうという構成の楽曲。楽曲の中身について何よりもシンプルな話をすると、雛ちゃんの音程性確率の高さに驚く。普通はここまで高音の音程が続くとファルセットが出がちだが、雛ちゃんは恐ろしい程に地声を突き通す。それがなんと全く無理をしているようには聴こえず、すんなり出ていると思える程。どんなに譜面上で高くまで音が引っ張られても、転調をしても尚、出すべき音に一発で声を当ててしまう天才。音域の広さは一種の才能であり、ここまで安定して歌い切れてしまうのも努力という才能なのだと思う。

コンセプトについては多くを語らず。とにかく音源を聴いて、MVを見て欲しいと切に願う。もしこれからCDを開封する、メイキングも見る、という人が居たらこの曲だけはどうか、音源を聴いてからMVを見るという順番を守って欲しい。先にMVを見たら最後。もうこれ以外のイメージ映像で音源を聴く事は出来なくなる危険性がある。

 

自らの元気印なパブリックイメージをここまで綺麗に脱ぎ捨てた丸ちゃんの、羽化する前の蛹のような神秘さが漂う楽曲。静かな始まりに相応しい囁くような歌声は、今にも消えそうなのに、強さも感じる二面性を持ち合わせている。曲に対してこんな表現は似つかわしくないかもしれないが、まさしく「造形美」な気がしている。美術館で綺麗な絵画を見た時に言葉が出ない感覚に近い。丸ちゃんは歌い方を曲によって自在に変える事ができる凄い人なのだが、こんな歌い方の丸ちゃんは知らない。恐らく初めて見せてくれる顔で、初めて聴かせてくれる歌声。儚さと強さと、脆さと眩しさ、甘さと苦さ。この世に存在する相反する2つを同時に声に乗せる。どんな感性を持っていたらそんな事ができるのだろう。

「血の音で描いた点と線の宇宙」、「目的地の墓」。歌詞が抽象的な小説のようで文学的。この歌詞の意味を紐解きながら、まるでページを進めるかのようにこの曲を咀嚼していく楽しさも同時に味わえる。でも、きっとこの比喩表現に正解はないのだと思うし、聴き込んでいく中でこの歌を聴いて自分の中で答えが見つかるなら、どんな解釈でも一つの正しさなのだと思う。「心臓がとまるその瞬間を唄うのさ」。まるでどんな在り方でも正しいと、聴いた人の人生を唄っているかのようでもある。

MVも合わせて見ると、この曲のカラーは「白」というよりも「限りなく透明に近い」のほうが当てはまる気がする。空気、水、そしてこの曲「ヒカリ」。

 

作詞作曲ともに安田くん。今まで安田くんが作ってきたどの曲ともテイストが似通ってなく、また新たな分野をここに来て開拓するという幅広さ。言葉遊び、テンポ操作、メロディーライン。どれを取っても自由で柔軟な発想がないと成立しないものであり、それらを自在に操ってまるでこの曲を通して遊んでいるかのよう。曲を作れる才能と、歌詞を書ける才能。どちらも持ち合わせた人だからこそ出来るハイレベルな遊びを垣間見ることが出来る。

後ろでずっと鳴っている重低音に、安田くん自身が重ねたオクターブユニゾンのコーラスが綺麗にハマっていく、まるで音とテンポの複雑なパズルのような構成。曲調も絶えず変化していき、まるでくるくると表情を変え、一瞬でも同じ顔は見せてはくれない生きた生々しい人間のよう。本当の曲の表情はどれか?どれが本当の安田くんか?と答えを探したくなる1曲。

ディープな言葉の羅列の中にも、安田くん特有のライムが炸裂していてとにかく圧巻の内容。

雑誌では既にタイトル「9」の意味について言われていますが、アルファベットを前から順に9つ数えてみると、曲が本当に意図するものが分かるかも。

 

大倉くんソロ曲。落ちてはならない恋にハマっていく背徳感と、それでももう戻れない焦燥感がうまく噛み合った大人な雰囲気を纏った曲。コンセプトのみ大倉くんが決めたようで、この世界観を選んだ所に自己プロデュース力の高さを感じる。

静かな歌い出しから、既に湿度100%なのは彼の成せる技。単語一つにしても、呼吸一回にしても、きちんと過不足ない適正量の色気を含ませてマイクに乗せる事ができるのは、長年培われたアイドル力あっての才能なのだろうなと思う。そして何と言っても、音程の運び方。きっと昔の大倉くんなら出ていないであろうその高音を、サラッとファルセットで歌いこなしてしまう。喉の変化が途中段階だと、きっと声が裏返ったように聞こえたり、どこか高音が頼りなく薄い印象を受けるはずだが、大倉くんの高音は既に厚みもあって音程をコントロールする力まで備えている。ここに至るまでの努力を思って、今回のソロ曲で果敢に新境地に挑戦した覚悟を見た。

ダンス曲との事で、コンサートに向けてどのように演出が変わっていくのかも楽しみなポイント。

 


【通常盤】

 

  • ズタボロ問答

関ジャニ∞は多種多様な歌を歌えるからこそ魅力的だが、ズタボロ問答を聴いた瞬間の「関ジャニ∞はこれだ」感は段違い。曲の種類にこの表現が当てはまるかどうかはさておき、実家のような安心感。作詞は上中丈弥さん、作曲は久保裕行さん。さすがのイナズマ戦隊。まるでハンコを押すかのような、紛れもない関ジャニ∞印の曲を作って下さる。

関ジャニ∞は、決して順風満帆ではなかった。「ドブ板をめくって出てきた」と表現されたように、足場も悪い場所でひたすら滑って転んで進みながら、そこに彼らにしか成し得ないものを打ち建てた。0から1を作ってきた人達が歌う「完璧なシナリオが最高の人生だって思わない」「経験こそが俺の辞書」の説得力。かつてジャニーさんが言った「関ジャニ∞は強いよ」の言葉の重みを今一度実感する。

沢山色んなことがあった。沢山の挫折や別れがあった。表からは見えない場所で、関ジャニ∞が今日まで抱えてきた苦悩や迷いは想像もできない程にあるだろう。それでも、今日も関ジャニ∞は変わらずに笑ってくれる。この歌は、何もない場所で泥だらけになり、幾度も幾度も怪我をして、それでも歩くことを、前を向いて笑うことをやめずに今を掴んだ、関ジャニ∞にしか歌えない曲だ。「ズタボロ問答」と書かれた文字は泥で見えなくても、紙はくしゃくしゃでシワだらけでも、差し出されたら受け取りたくなる。抱き締めたくなるような、今の関ジャニ∞の名刺になる1曲。

 

  • 赤裸々

松原さらりさん作詞、南田健吾さん作曲のアップテンポナンバー。フェードインしてくるサウンドから始まるディストーションの強いギターイントロ。普段の関ジャニ∞の暖かさや賑やかさを完全に消した、突き刺すような格好良さを持った歌い出しと、韻の踏み方が心地良い言葉遊びのような歌詞。曲調の激しさから、間違いなくゴリゴリのダンスナンバーだと思われる。 WASABI、Sorry Sorry love、ブリュレと並びそうな系統の曲で、これらが好きなら間違いなく赤裸々も好きになると言い切れる。関ジャニ∞にこういう曲調の歌を歌わせたら、最高という話をずっとし続けられる自信がある。

ステージの真ん中でステップを踏んで、レーザーライトを浴びて、声を上げて歌う関ジャニ∞が見える。タイトルにもなっている「赤裸々」というワードが曲中で連発されていて、激しい曲調の中で思いを抉り取るような切ない歌声が重なる。明るいで元気なだけが関ジャニ∞じゃない。こういった曲調の中で、切ない思いを歌に乗せるのが抜群に上手いのもまた、関ジャニ∞の特徴だと思う。関ジャニ∞、武器が多すぎる。

 

  • サタデーソング

丸ちゃんが司会を務める土曜朝の情報番組「サタデープラス」のテーマソングにもなっている。土曜朝の楽しさ、始まる週末への高揚感をこれ以上なく表現した楽曲。平日の多忙さに疲れ切っている人に向けた、新しい服に身を包んで、お気に入りの靴を履いて、さあ出かけようと手を引いて外に連れ出してくれるような明るさを持っている。でも平日疲れた人は勿論休日は休みたい。ずっと寝ていたい。そんな、2日だけでは到底消化できない5日分の疲れを抱えた人にも魔法の言葉。「まだ始まったばっかなんてちょっと贅沢な気分じゃない?」「ずっとやりたかったこと何でもできる気がするでしょ?」。

憂鬱な気持ちを金曜に置いて、とりあえず嫌な事は忘れて。始まったばかりの贅沢を、何でもできそうな朝の始まりを、捨ててしまうなんて勿体無いと叩き起こしてくれる、めざましアラームのような元気。ちょっと騒がしくて、早く早く!と急かすような気忙しさが、どこか楽しくて元気になる。

この曲の効力は土曜の朝だけではなく、平日にも伸びているということ。この週末が終わっても、また次の週末、このサタデーソングがくれる元気は尽きない。土曜日の朝が来る限り、ちゃんと効力を発揮してくれる活力底なしのエネルギー曲。最後の丸ちゃんのシャウトもとても元気が出て良い。関ジャニ∞の元気印。

 

キラキラした音色に、待ち侘びていた世界が始まるんだと予見させる高揚感を詰め込んだイントロ。息を吸い込んで全員で歌い出す「待ちわびた今日に繋いできた想い」。その舞台を待ち侘びたアスリートへ向けた、リスペクトに満ちた楽曲の裏に、関ジャニ∞もまたステージに立つ事を同じように待ち侘びていた背景がある。歌詞は「夢見てた未来の先へ」

と続く。夢見てた未来へ、ではなく、未来の先へ。この曲の終着点は、そうなったらいいな、こうなりたいな、という夢を見ていた未来そのものではなく、未来の先にある世界である。未来に辿り着いてもまだ歩みを止める事はない。アスリートも関ジャニ∞も同じ。見据えるのは先の先の先。そんな強い想いが楽曲から感じられる。

曲調も、歌詞に込められた想いもとても壮大なものだけど、関ジャニ∞がここまで積み上げてきたのは毎日の小さな小さな努力と舞台に立つ事を諦めなかった心だと思う。またその「舞台」が再開を迎えるその時まで心に燃えている炎を消さないように、関ジャニ∞は走り続けてくれた。今この曲が、タイトル通り関ジャニ∞を「歓喜の舞台」に連れて行ってくれる。5人の真っ直ぐな想いが伝わる、自然と涙がこぼれ落ちる1曲。

 

 

 

 

デビューして17年。

メンバーの名前もそれぞれの特徴も、バラエティの立ち回り方も世間によく浸透したグループだが、彼らの音楽への情熱はまだ底が知れない。制作陣に投げ掛けられた「今の関ジャニ∞がどう見えるか」という一つのテーマを元に作られた今回のアルバム。その答えは何だったか。今の関ジャニ∞は、今をときめく制作陣にとってどう見えていたのか。彼らは、どストレートなラブソングも、大真面目にふざける振り切ったコミックソングも、誰かの心を撃ち抜くメッセージソングも満遍なく歌える。求められた事は、何でも出来るのだ。ただしそれは、長い年月をかけて確立され、音楽に対する弛まぬ努力に裏打ちされた、揺らぐ事のない「関ジャニ∞の音楽」という土台の上に成り立っている。どんな注文にも答える、どんな難題にも挑む。何でも出来る人達で、器用にこなしてしまう様にも見えるが、楽曲全てに自分達の血を通わせるのは決して容易な事ではない。


今回の、ジャンルも制作陣も何もかも異なる数多の楽曲達の共通点は「今の関ジャニ∞がどう見えるか」という問いへの「答え」であるという事だ。格好良くて、泥だらけでガムシャラで、大人でお洒落で、全力でふざけることも出来て、誰かに手を差し伸べる優しさもある。一つも印象の被らない楽曲達だが、漏れなく全てに関ジャニ∞の血液が通っている。どの曲に触れても関ジャニ∞の鼓動が伝わり、体温を感じる事が出来る。

 


もう一度問いに戻る。

今の関ジャニ∞がどう見えるか。その答えは綺麗に並べた言葉でもなく、取って付けたような理屈でもない。このアルバムがその問いへの何よりの「答え」であり「証明」である。そう感じられる1枚だと思う。

関ジャニ∞がこのアルバムのリリースにあたり、「関ジャニ∞でよかった」という言葉を掲げている。関ジャニ∞でよかった。あの時も、この瞬間も。どんな事があっても。関ジャニ∞でよかったと、他でもない関ジャニ∞自身が言ってくれるから。同じくらい、いや、それ以上に思う。出会えたのが、応援しているのが、好きになったのが、他でもない「関ジャニ∞でよかった」。

 

 

関ジャニ∞の音楽を知らない?

関ジャニ∞の音楽に触れた事がない?

ならば、これから知って欲しい。関ジャニ∞を好きになるのに、関ジャニ∞の音楽に触れるのに遅過ぎる事は無い。

 

 

 

 


彼らの鼓動は今この瞬間にも、このアルバムを手にした者に届いている。

関ジャニ∞の凛は誰に向けて歌われているか

 

 

関ジャニ∞「凛」。

 

全員の力強いコーラスをバックに、一人ずつゆっくりと目を開くシーンから、この曲のミュージックビデオは始まる。神聖で、厳かで、少しの迷いや揺らぎも感じさせない。息を飲むような、その名の通り「凛」とした空気が漂っている。映像はモノクロで、この時の関ジャニ∞が纏う色は、ピンと背筋が伸びるような、目標を見据えて震えるような、高鳴る心を写した「白」だ。FUJI Network.Song for Athletesとして起用され、フジテレビのスポーツ番組や、オリンピック中継で耳にする事が出来るこの曲。これは、誰に向けて歌われている曲か。この問いに単純明快に答えるとしたら「アスリートの方々」で間違いはない。オリンピックのこの時の為に、この一瞬の為に日々を積み重ねて来たアスリートの方々である事に、何の間違いもない。しかし、完全にそれ以外は無いと、そう言い切れるだろうか。この曲は、この歌詞は、アスリート以外の他の人へも向けられた側面は本当に無いか。関ジャニ∞は、誰に向けてこの歌を歌っているのか。歌詞を見ながら紐解いていきたい。

 

 

 

語られる事のない物語がある

笑顔の裏に隠した孤独がある

 

メディアで取り上げられるのは、オリンピックという大きな舞台に上がる事ができた、ほんの一握りの選手の、ほんの一瞬の人生だけだ。その場所で勝負に挑む事ができた人の功績は多くの人の目に触れ、その人が今まで歩んできた過程、出会ってきた人、今後の目標が多くの人の耳に入り、物語は語られ続けていく。その裏で、惜しくもその場所まで辿り着くことが出来なかった人達の物語もまた必ず存在し、舞台に上がることが出来ても目標に届かなかった人、目標に届いてもそれまでの過程の中で挫折を経験した人、人の想いの数だけそこには物語がある。輝かしい場所で、人の目に触れることのない物語は確かに存在し、華やかに映り笑顔に見える誰かの、背中に隠された孤独は密かに息をしている。

言葉の意味通り受け取るとしたら、その始まりは紛うこと無きアスリートの方々へ向けられた歌詞である。ではもう少し広義的に解釈してみる。

もしもこの曲がオリンピックとは別の時期に世に出ていたとしたらどうか。スポーツの世界で戦う人だけじゃなく、日常生活の中で仕事や勉学や目標に挑み、自分や他人と真正面からぶつかり、向き合い、日々を懸命に生きる誰かに向けても、この歌詞の言葉は当てはまらないだろうか。誰しも語られる事のない物語があり、日の目を見る事はない、そっと後ろ手に閉まっておきたい人生のどこか一瞬が必ず存在するのではないか。

 

ただゴールを見つめ 凛と立つ君よ

光と影を抱いて 一筋の風になれ

 
誰にとっての、何のゴールとは一切明言されていない歌詞。「ゴール」とは具体的に一体何を示すのか。人の数だけゴールの定義がある。何かを成し遂げる事なのか、今あるものを維持する事なのか、誰かの成長を見守る事なのか。そして、誰のゴールか。アスリートの方々にとってのゴールでもあり、今何らかの目標を抱えている誰かにとってのゴールでもある。受け取り手によって様々だ。

安田くんが歌いながら「凛と立つ君よ」でカメラを指差した。「君」とは、今大きな舞台に立とうとしている選手達の事でありながら、このミュージックビデオを見ているあなたの事なのかもしれない。カメラの向こう側にいる「君」の定義は無限大であり、そこには何億通りに異なる人生を生きる「君」がいる。

 

 壁の前で立ち尽くす度 迷いながらも戦ってきた

僕らなら何度だって超えて行けるさ いざ前へ

 
ここで、歌詞の視点が大きく変わる。今まで「物語がある」「孤独がある」と広く普遍的な(誰にでも当てはまる)世界観だったものが、ゴールを見つめ凛と立つ何処かの「君」へ向けたものになる。そして、続く歌詞にある「迷いながらも戦ってきた」のは誰か。ここから歌詞の主語が「君」から「僕ら」へと大きく変換を見せている。大きな壁を前に立ち尽くしてきたのは、迷いながらも戦ってきたのは、「君」だけじゃない、「僕ら」も同じだと。そして「君」も「僕ら」も何度だって超えていけると。主語が入れ替わるというよりは、主語の範囲が広がっていく印象。君も僕も同じであり、手を繋いで戦ってきた仲間だと歌っている。特定の、たった一人の「君」に向けてのエールは、この主語の拡大によってこの曲を歌う「僕ら」と、この曲を聴く不特定多数の「君」への最大級のエールへと形を変えていく。

 

その情熱が その絆が 今力に変わってく

願ってたような 未来じゃなくても

勝ち負けじゃない だけど伝えたい

命の火を燃やして

加速していく 姿は美しい

 
関ジャニ∞が歌で紡ぐ、圧倒的なエネルギーを持った言葉達。誰のどのような情熱で、誰と誰の絆とも明言していない。誰にでも当てはまるような広い捉え方ができる歌詞なのに、決して浅く薄く聴こえない。普遍的でありながら、ピンポイントで「誰か」を歌っているように聴こえる。戦うアスリートの方々にも、日々を生き抜く他の誰かにもこの歌詞は当てはまる。関ジャムでもよく言われている「誰にでも当てはまるような歌詞でありながら、この歌は自分の事を歌っていると思わせる事が大切」だという事。その通りだと思わせられるサビ。

この夏、文字通り命の火を燃やして、勝ち負けじゃなくもっと大きな何かを通して、大切な事を教えてくれるアスリートの方々の中にも、そのアスリートの方々を支え続けてきた人の中にも、テレビを通してエールを送る人の中にも、自分の中の目標に向けて違う場所で戦う人の中にも、同じ熱量が宿る歌詞。これって、巨大でありながら人の心を打つ、至極繊細な、物凄いエールソングなのかもしれない。

 

走り続けていく 君の姿は

何故にこんなに僕らの 胸を打つのか

繰り返すエールが 涙に変わっていった

忘れてた何かが溢れ出した

同じ空を見上げた


そして、これは個人的な解釈に過ぎないが、関ジャニ∞が誰かに向けて応援歌を歌う時、巡り巡ってそのエールが関ジャニ∞に返って行く気がしている。オリンピックという大きな舞台で戦うアスリートに向けて関ジャニ∞が歌う「走り続けていく君の姿は何故にこんなに僕らの胸を打つのか」は、私達が関ジャニ∞に常日頃から感じている事そのままだ。関ジャニ∞がアスリートの方々に向け送ったエールは「凛」という曲になり、テレビを通してアスリート自身や観ている聴いている者に響き、「凛」は私達の応援の言葉の代わりとなってくれる。「頑張れ!」を代弁してくれる。そして、大きな舞台にこの歌をそっと添えた関ジャニ∞の走り続ける姿もまた、同じように私達の胸を打つ事に気付く。関ジャニ∞のエールは、届くべき「君」へ届いた後、巡り巡って関ジャニ∞へと立ち返っている。

 

その情熱が その絆が 今力に変わってく

願ってたような 未来じゃなくても

勝ち負けじゃない だけど伝えたい

命の火を燃やして

加速していく 姿は美しい

見果てぬゴールは 新たなスタートライン

 
大サビでモノクロだった画面に鮮やかな色がついて、ここから曲調は加速の一途を辿る。全員の力強いユニゾン、普段滅多と見せる事のない雛ちゃんの自然に溢れ出した涙、安田くんが所々に織り交ぜてくれる手話に近い振り付け。いつも思う。関ジャニ∞が歌う応援歌は、関ジャニ∞にしか歌えないものだ。応援歌は、一方通行ではいけない。矢印が受け手に届かず、弧を描いて飛んで落ちた先が誰もいない地面では、いつまで経っても独りよがりで終わってしまう。けれど関ジャニ∞の応援歌は、高い音をたてて青い空に打ち上がったホームランボールのように、空高く弧を描いて飛び、遥か遥か遠くへと届く。セットも何もない、極限までシンプルにしたミュージックビデオと、余分なものを全て削ぎ落とし包み隠さない熱量が直に感じられる歌詞。アスリートの方々に花を添える為に生まれたこの「凛」という、まだ何色にも染まっていない真っ白な曲が、アスリートの方々だけでなく、この曲を聴いた者全てに等しく「関ジャニ∞のエール」が届けている。誰かに届いて初めてこの曲に色がつく。そういう歌を関ジャニ∞は歌っているのだと思う。


関ジャニ∞にとっても、これから挑戦していきたい「見果てぬゴール」が幾つもあるのだと思う。でもそのゴールテープを切ったら終わり、ではなく、それは新たなスタートラインに立つ事を意味する。誰かにとっての挑戦は、関ジャニ∞にとっての挑戦は決して終わる事はない。立ち止まらない。走り続ける。この曲は誰に向けて歌われているか。冒頭の問いをもう一度思い起こす。「凛」という、今日もどこかで頑張る誰かへ届くようにと空高く打ち上げられた白球は、関ジャニ∞自身へも届く応援歌なのだと思えてならない。

 

関ジャニ∞ - 凛 - YouTube

 
安田くんがミュージックビデオの最後、頭上に向けてスターターピストルを放った。位置について、よーい、ドン。

この「凛」という曲を聴いた「君」にとっての、「私」にとっての、「誰か」にとっての、そしてこれを歌う「関ジャニ∞」にとっての、始まりの合図が鳴った。

その始まりと5つの180日に寄せて

 


関ジャニ∞、5人になったね」。

 

思い返せば、去年の10月からこの言葉を何度か言われてきたなと思う。実際に8人だったメンバーが5人になったのだから否定こそしないけれど、その発言をすんなり飲み込む事ができずに、心の中で小さな引っ掛かりを抱えていた。

そしてこの言葉はファンに限った話ではなく、関ジャニ∞本人達へも同様に幾度となく尋ねられた質問だったらしく、関ジャニ∞が新体制となってからの180日をカメラが追いかけた、3時間25分にも及ぶ今回のドキュメンタリー映像は「そして2019年、彼らは5になった。」という文言から始まる。

 


180日。

安田くんは、関ジャニ∞の音楽に真正面から向き合っていた。一つひとつ形も音の響きも違う会場で、音響チェックで率先してスタッフさんと話す。関ジャニ∞全体のバランスを聞いて、一番良い形で全員の音と声が響くようにと働きかけ、開演の数時間前には会場での声出しを欠かさない。安田くんは、昔からとても器用な人だ。なんてことない顔で、さらっと色んなことをやってのけてしまうからその凄さが伝わりづらい。背負っているものが普通の人の何倍の重さなんだろうと思う瞬間もあるけど、その重さも安田くんの中では「生きているからこそ」のものなんだろう。骨折がなければ手術の事は恐らく公表もされないまま、眼鏡をかけ続ける理由もファンは知らなかったかもしれない。この2年で、きっと誰よりも当たり前の幸せを痛感しているはずで、だからこそ今立っている場所は経験してきた事を伝えられる、安田くんにとっての生きる場所なのかもしれないと思った。

 
180日。

丸ちゃんは、グループでの47都道府県ツアーを行いながら、京都で目紛しいスケジュールでの主演ドラマ撮影に挑んでいた。長距離移動が続き、どことなく疲れた表情で会場入りしても、関ジャニ∞の中にいるうちに徐々にいつもの調子を取り戻していく姿と、それを見て楽しそうに笑う関ジャニ∞が愛おしかった。関ジャニ∞TVでも、毎公演率先して今の関ジャニ∞を届けようとしてくれるエンターテイナーだった。グループに居るからには何らかの貢献をしたいと楽器屋巡りを欠かさず、驚いたのが丸ちゃんがツアー後半のセットリストを組んでいた事だった。よく自身のDVDを見返すと言っていたし、関ジャニ∞の歌であればいつの歌でもどの歌でも歌えてしまうと言う丸ちゃんの、セットリストを考えている時の表情がとてつもなく楽しそうで、丸ちゃんが思う「この関ジャニ∞、楽しくて可愛くてかっこいい」というステージを1日でも早く披露できる時が来ればいいなと願った。

 
180日。

横山さんは、連ドラを撮影しながらの47都道府県ツアーだった。公演本番ギリギリ前までマーカーを手に台本にかじりつく姿は、多忙を極めている事がよく分かった。それでも、安田くんからボイトレをしないかと誘われて「関ジャニ∞の為になるなら」と快諾した話が、音楽のことはあれだけ無理だと言っていたのに「バンドの為になるなら」とトランペットを始めた時と重なる。横山さんはそういう、誰かの為に自分を果敢に変えていける強さを持った人だった。メンバーが減ったことは寂しいですかと問われ、濁しながら最後まではっきりとした答えを出さなかったのも、優しくて好きだった。今もまだ寂しさを感じる時があることも、寂しくないと思える時があることも、横山さんにとってはどちらも本当なのだと思う。横山さんは、いつだって関ジャニ∞という場所で感じた気持ちを大切にしている。

 
180日。

雛ちゃんは、ツアー初日3日前に27時間テレビを終えていた。終わってから、まだ特番1本くらいなら撮れると笑っていた3日後、本当は27時間テレビの本番中から身体には限界が来ていたことを、初日を迎えた松竹座の楽屋で鍼を受けている姿を見て知る。リハーサルに肩甲骨を傷めて現れ、のそのそと痛そうに動く姿もあった。どれだけ多忙でも、どれだけ限界が来ていても、雛ちゃんは一人フラットでいることをやめない。どんな状況であってもひとたび表に立てば、何でもないように飄々と振舞って、見る者を安心させてしまう。本当に凄い人だと思う。だからそんな雛ちゃんの、寂しさは話し合ってる時がピークだったと教えてくれたり、今は寂しさなんかで振り返ってられない、と本音のような言葉を聞いたりすると、フラットではない、嘘偽りない部分にも見る側はとても助けられていると感じた。

 
180日。

大倉くんは、自分たちのコンサートの構成のみならず後輩のコンサート演出や指導をも並行して担当していた。元々物事を俯瞰で見られる人だったけれど、指導に携わるようになってから、より「受け手からの見え方」を考えてくれているんだと感じる事が増えた。動員数の少ないツアーで観に来られる人は限られるから、皆に還元できるものをと関ジャニ∞TVを発案し、自宅でこもるファンに向けてメンバーが日替わりでショートラジオを更新するようにしてくれた。今回のMVも、ファンとの共作なのにファンが置いてきぼりにならないように、と内容の修正を提案してくれていた。何かを考え、伝え、形にする力が誰よりもある。社長やプロデューサーと呼ばれる事もあるけど、関ジャニ∞の戦力になりたいと苦手だった高音を克服するためにボイトレも始めた。それは俯瞰で見る力を極めてもなお最前線に立つ、最強のアイドルの姿だった。

 

 

5人の180日を見て、関ジャニ∞は本当に「減った」のだろうか、と考える。


元を辿れば8人を好きになった事は事実だけど、7人の這いつくばって泥だらけでがむしゃらな所も、6人の目の前にある弱さも強さも隠さない真っ直ぐさも、5人の手を引いてくれるような優しさと全てに向き合う誠実さも、同じくらい好きだと思えた。そこに好きの優劣はつけられない。5人の関ジャニ∞だから、今こそ応援しなければ、と思っている訳ではない。私はそこに居てくれるのが「関ジャニ∞だから」応援したい。

そう思えるドキュメンタリーだった。

だから、「5人になったね」と言われる事に小さな引っ掛かりを感じてしまった。今現在、5人になった事に変わりはないんだけれど、それによって関ジャニ∞の何かが大きく目減りしたとは感じない。勿論、歌割りやダンスのフォーメーションが変わり、楽器の音が減り、歌声が減った。一人一人に当てられた役割も比重も、そのままでいられる訳ではない。関ジャニ∞の中の、間違いなく大きな変化だと思う。一人ひとり、役割を増やし、何かを始め、関ジャニ∞と向き合った。その「変化」は、人数こそ減ったかもれないが「関ジャニ∞の中の何かの減少」だとは思えなかった。

 


グループ、個人でそれぞれ持つレギュラー番組数本に、ラジオ、雑誌、ドラマ。それに加えて、2度目の47都道府県ツアー。同じ日に県を跨いでの2公演を詰め込むほど、多忙なんて言葉じゃ表せないほどのスケジュール。現地集合、現地解散も珍しくなく、コンサートが終わればその足でまた個人の仕事へ向かい、一つ仕事を終えてまた別の場所のコンサート。一つ一つ会場の大きさも形も違って、1公演ごとにセットを組み直し、音響を確認し、リハーサルをする必要がある。

それなのに、関ジャニ∞は楽しそうだった。大変な事には変わりないけれど、関ジャニ∞は穏やかで、落ち着いていて、どこか一つ大きな山を越えたような表情にも見えた。今も新しい山の頂上に向かって、登っている途中だとしても。

 


このツアーが発表された時、一度目の時とは仕事環境が大きく変わり過ぎているのに、そこまでしてツアーを行うのはなんでだろうと思っていた。満身創痍の関ジャニ∞を動画で見て、ゆっくりしてくれてもいいのにと思った。心身共に大変な2年間だっただろう。だから、怒涛のドームツアーが終わった今、少しはゆっくり休んでも、誰も何も言わないのに。このまま走り続けて、関ジャニ∞がまた壊れてしまったらどうしよう。そう思っていた部分もある。

 


でも、映像を見ていたら「もう俺ら大丈夫やで」なんて言葉はなかったのに、何故か「もう大丈夫なんだな」と思えた。関ジャニ∞はいつだって走り続ける人達だけど、誰かの息が切れたら全員で立ち止まるし、誰かが「走るのは違うんじゃないか」と声を上げたら全員でその場に座って作戦会議してしまうような、そんな空気があった。今、関ジャニ∞が走っているのは、がむしゃらだからではない。

 


Re:LIVEの2番に「始まりを終わりにして」という歌詞がある。この2年間で、関ジャニ∞は2度の大きな「始まり」を経験した。2018年7月15日の札幌と、2019年10月1日。どちらも関ジャニ∞にとっては「新体制での再出発」という名の「始まり」だった。それをもう今回で「終わりにする」と歌っている。ぼちぼち大切な夜での会話に出てきた「次(こういうことがあったら)はもう(関ジャニ∞を)閉じよう」「閉じる時はみんなで」「でも、閉じることは考えずにやろうな」「もちろん」「でも、それくらいの覚悟じゃないと」。関ジャニ∞のこれから先の未来で「もしも」があった時、また次「始まり」を切ることはないのかもしれない。でも、それくらいの覚悟で今回の一歩を踏み出した。「次の始まり」はもしかしたらないかもしれないけれど、関ジャニ∞は「この始まり」を手放さない覚悟でそれぞれが息を整えて、せーので踏み出したんだと、思えてならない。だからこの歌詞が好きだ。

 

 

 

関ジャニ∞、5人になったね」。

 
確かに5人になった。でも、それだけじゃない。いつだって、どんなプラスもマイナスも全部飲み込んで「関ジャニ∞」にしてしまうグループだ。ステージに対して貪欲で、現状に満足する事はない。強くて優しくて、誠実で不器用。いくつになっても同じ事で大笑いして、何年経ってもふざけてばかり。8人も、7人も、6人も。そして、5人も同じ。

 

 


変わらない、私が大好きな「関ジャニ∞」だ。大切な事の目盛りは、何も減ったりしていない。そう思う。