今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

大倉くんの魔法とラジオの7年間

 

 

 

 

 

 

大倉くんの言葉は魔法だ、とずっと思っていた。

 

 


口に出す言葉は、如何なる時もその人の鏡であると思っている。時間をかけ、考えて書いた文章はある程度取り繕う事も出来るけど、その場で脳から口へ伝わった言葉は、咄嗟の装飾が出来ない。

飾らず、背伸びをせず、ありのままの言葉で、大倉くんはラジオを7年間続けてくれた。

 

 

 

 

始まりは、2013年4月からの「関ジャニ∞大倉忠義 日曜日好っきゃねん」だった。大倉くんの単独ラジオレギュラーが決まったと発表された時は、驚いた。「俺も一人でラジオしたいなあ…」と言ってもチーフマネージャーさんに「大倉は無理でしょ」と一蹴されて「そうやんなあ!ハッハ!」と返しながら心の中で「コイツしばいたろか」と思っていた大倉くんが、かつてラジオでメンバーに「大倉が一生懸命喋ってるとコアラが全力疾走してるみたい」と言われていた大倉くんが、一人で30分のラジオレギュラーをやるのだと言う。

本人は「僕に一人でラジオをしないですか?ってお話を頂けたって事は、感謝しなきゃいけないし、かなりの勇気だと思う」「ファンの方もびっくりだと思うんですよね。今までメンバーとラジオはあったし、基本的に横山くんと村上くんがトーク担当じゃないけど、っていうのがあるので」と話していたが、すぐに大倉くんの言葉はラジオに適している事を知る。

過去にメンバーとラジオをしている時には気付かなかった「言葉を紡ぐ上手さ」「声のトーンのラジオ向き加減」。誰かに話を振ったり場を回したりなどの卓越したトークスキルとはまた少し違う、一つ一つの言葉選びの上手さ、跳ね過ぎず落ち着き過ぎないトーンの声。耳馴染みの良さとはこういう事を言うのだと思った。

 

毎週30分なんて一瞬で終わった。たくさん仕事の話もしてくれた、メールも読んでくれた、クイズや質問にも答えてくれた。放送枠は土曜の夜となり「関ジャニ∞大倉忠義 ラジオ好っきゃねん」としてその枠で一年続いた。初めは「一人ってすごい寂しいですね」と笑っていた大倉くんは2年後「次からは相槌を打ってくださる方がいる。嬉しいですねぇ」と呟き、2015年から高橋優くんと一緒に「オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん」として5年間、生放送(時々録音)で言葉を紡ぎ続けてくれた。

 

 

 

この7年間、色々なことがあった。数え切れないほど沢山の事を、話してくれた。新しい仕事が決まった事、悔しかった事、イライラした事、仕事の裏話やエピソード、プライベートの話、大切な人との別れ、大倉くんの気持ち。その時に感じた事を、その時の大倉くんの言葉で、残してくれた。

 

 

一発目に好きな食べ物を聞かれ「炭水化物!」と答えていた事。昼寝をするのが日課で、その時に聴いてる曲は秦基博さんの「休日」だという事。ドラマなど大きな仕事が終わったら必ず牛すじカレーを作る事。JR有楽町駅前で大倉くんの写真を見せて何人がフルネームで答えられるかクイズ、30人中12人が正解し「12人分かるって言ったら嬉しいなぁ!しかもフルネームやからね!嬉しい〜!関ジャニにおったっけ…みたいな感じやったのに前まで!有楽町前ね!行こかなあ!週一くらいで!ビックカメラあたり」と分かりやすく喜んでいた事。趣味を探そう企画でリコーダーで残酷な天使のテーゼを吹いて難易度の高さに笑っていた事。一番下の弟が「にいちゃん!にいちゃん!」と部屋に入ってきていたのに中学生になったあたりからいきなり入ってこなくなって寂しかった事。家で育てている観葉植物にカナブンの幼虫がいて叫びながら割り箸で摘んだ事。3月末に桜の開花ニュースが流れた時、夜の8時に日比谷公園でお花見しながらプルタブを開けてラジオを録音した事。安田くんが作ってくれた歴代のジングル。優くんのモノマネに爆笑した事。二元中継を何度もやった事。2人で弾き語りした事。三股しているリスナーさんに声を荒げて怒った事。毎晩ゲームに課金したのにスマホの画面を割って水の泡にした事。雑穀米と唐揚げで作った誕生日ケーキが登場した事。ラジオブースの外に作られたミニ四駆用特別コースでサイクロンマグナムを走らせて大喜びした事。低周波マッサージやVRホラーなどの罰ゲームをした事。DJ忠義がクリスマスソングをかけてくれた事。数え切れない程のイライラじゃんけんをした事。

何よりも、大事な時、どんな報道より、綺麗に整えられた文章より、今の気持ちが、言葉が欲しかった時、ラジオの向こう側にいる「誰か」に向き合ってくれた事。

 

 


色々な事があり、そこにはいつも、体温が宿った言葉があった。大倉くんの言葉は、どんな時も真っ直ぐで正直だった。楽しい時には声を上げて笑っていた。悔しい時には隠すことなくその思いと真っ正面から向き合っていた。誰かに寄り添う時には余計な言葉掛けはせずに、きちんとその人の辛さを「その人の辛さ」として理解してくれた。悲しい時はにはその声音こそ沈んでいたけれど、悲しみでできた穴を隙間なく埋めるような誠実さがあった。

 

大倉くんの言葉選びは、整理整頓に似ている。足元に散らばった言葉を一つずつ拾い上げ、それぞれの場所を確認して元通りに戻していく。絡まっていた糸を苛立つことなく丁寧に解いて、一本の線に戻す。大倉くんの凄い所は、それを人の心の中と自分の心の中で同時にやってしまう所なのかもしれないと思う。今、どんな状況に置かれていて、何が悲しみの原因なのか。その悲しみはどうやったら消えるのか、その為には今、何をしていけば良いのか。大倉くんが自分の心を整理するように話してくれる言葉達は、聞いている人の心の中まで洗い流してくれるようだった。

あるべき場所へ戻された言葉を見て、絡まりが解かれた糸を見て、気付く。大倉くんの言葉の中に無責任な「大丈夫」というそれはないのに、大倉くんの言葉を聞いた後、自然と大丈夫なんだと思えた。辛くて苦しい時に心につける薬なんかないのに、等身大で、飾らなくて、ありのまま話してくれる言葉は特効薬だった。飛び跳ねられるほど元気にならなくても、また息を吸い直して前を向うかなと思える、そんな言葉たちだった。

 

私はそれを、魔法だと、ずっと思っていた。

 

 


でも知っていた。大倉くんの言葉は決して魔法ではない事を。

みんなの悲しみが無条件に消えて、みんなが幸せになれて、良かったねで終わる綺麗な魔法ではない事を。誰かの代わりとして空いた場所に呼ばれ、ほぼ出来上がっていた輪の中に最後に加入をし、血の滲むような努力を重ねてそこに居場所を確立し、色々な人の渦に巻き込まれるように年月を過ごし、出会いと別れを繰り返して今に至っている人の言葉は、大倉くんの努力と人生の上に成り立っている事を。

魔法に見えるだけで、魔法ではない。魔法だと錯覚してしまうほどに上手で、暖かくて、優しくて、冷静で、誰かの心の上で傘になるから、それが分からなくなる。

 

 


大倉くんは夢のような世界で生きているのに、言葉を空中に投げてしまわない人だった。言葉たちはいつも現実の重力を孕んで、然るべきスピードで足元に落ちて積み重なっていく。

遠い場所からラジオを通して耳に届く言葉は、時に魔法で、時に薬で、時に北風で、時に夢で、時に傘で、時に現実で、時に温かい毛布で、時に立ち止まった背中に添えられる手だった。

辛い時、どこか手の届かない場所から拡声器を使って叫ばれる「頑張れ」じゃなくて、気付いたらすぐ隣で聞こえる「一緒に歩こう」だった。

 

 

 

魔法じゃない。だけど魔法だ。

等身大の飾らない言葉には、そう思わせてくれる力があった。そう思う。

 

 

 

大倉くんは言う。「自分が普段、何を思って過ごしているんだろうとか、何してたんだろうこの1週間、みたいなのは再認識出来ると言うか。自分が何を思ってるんだろう?っていうのが一番大きかったかもしれないですね」。大倉くんにとってラジオってどんな存在だったんだろうと思っていた。多忙な日々の中で一息ついて、自身の行動や考えを振り返るきっかけに、ラジオがあったことを知って嬉しかった。

大倉くんは言う。「深い事話すとさ、寝れなくなっちゃうじゃない?だから考えすぎないようにしてるんだけどね。中身がないことにしてる。(この椅子に座る時は)空っぽにしてる」。このラジオの椅子に座る時は、何もかも忘れて空っぽにしている。楽しい事も、嫌な事も一旦全てをリセットして、優くんを前にフラットな状態でいる。口で言うのは簡単だけど行動に移すには決して容易な事ではない。激動の7年間の生活の中に組み込まれた週に一度のラジオという存在が、大倉くんの一つのリセットボタンになっていたことを知った。

大倉くんは言う。「いつも優くんがいるから助かってる」。中身のない会話で2人で盛り上がってくれた事。沢山物真似をして、沢山歌ってくれた事。時に自分に対して厳しくて自己肯定感が低くなる大倉くんの話を、優しい相槌で「うん、うん」と聞いてくれた事。そんな大倉くんを否定することなんか一度も無かった事。大倉くんがラジオの向こう側にしていた事と同じように、毎週目の前に座る人に無責任な「大丈夫」を送らなかった事。何度も何度も「大倉くんは凄いよ」と伝えてくれた事。そんな大倉くんのことを「Beautiful」という歌にしてくれた事。

5年もの間、大倉くんと向かい合わせで、一緒にオールナイトニッポンでの時間を過ごしてくれた事。大倉くんと一緒にラジオをしてくれたのが、優くんで良かったなと心の底から思う。本当に、ありがとうございました。

 

 

 

週末の反省会と称したこのラジオは、芸能人2人の会話なのに、何故か聞いてる人に「自分と同じだ」と思わせてくれる不思議な力があった。同じように笑い、同じように泣き、同じように妬み、同じように苦しんで、同じようにまた立ち上がる。大倉くんも、高橋くんも、物理的にはラジオの向こう側にいる人だけれど、どこか「ラジオのあちら側もこちら側もない」と思える体温があった。

土曜日の夜はこれから先もずっと続くけど、そんな大倉くんと高橋くんがある土曜日は今日が最後だった。2人の「また来週」がある土曜日の夜に戻ることは二度とない。けど。

 

 

 


楽しそうに話す声を思い出す。

 

 

 

 

 

「結構僕っておしゃべりなんですよ。意外と。」

 

 

 

 

 

知ってる。だからまたいつか、そんなラジオが聴きたい。大倉くんの飾らない言葉が、優くんと楽しそうに話す声がまた、ラジオの向こうにいる誰かに魔法をかけるその時を、ずっと待っています。

  

 

 

 

 

 

7年間、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 


2020年3月29日

あなたの人生に「友よ」をお勧めしたい

なぁ友よ。人生って最高だろう?

だからやめられないんだろう。

 

 

 

 


11月27日、関ジャニ∞43枚目のシングル「友よ」がリリースとなった。先に言ってしまうと、この記事の目的は販促です。多くの人にCDを買って欲しい。作品を手に取って欲しい。関ジャニ∞新たな門出を、新たなスタートを、最高の形で切って欲しい。だから、今から書くことはその熱意だけに任せた文章です。

時間がない、それでも熱意しかありません。ちなみに、現在この文章を書き始めたのが深夜2時37分。誤字脱字、意味不明な言い回しなどはあるものとして何卒ご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

世の中には腐るほど多くの応援ソングがあります。

前だけを見て頑張れ。負けるな。立ち止まっても良い。一人じゃない。自分らしく生きろ。

 


応援歌に限った話ではありませんが、歌は「自分の為に歌ってくれている」と思わせるものかどうかで、その人の人生にどれだけ関わりを持つかが決まると思っています。数多くの人に平等に響くものでなければならないと同時に、聴き手に「これは、自分の人生への歌だ」と思ってもらわなければなりません。広く、そして時に狭く、誰かの人生に届かなければなりません。

 


ただ、通常、聴き手が感じる「自分のための歌」の「自分」という言葉の場所に、歌っている側が回ることはありません。歌っている側はあくまで届ける側であって、届けられる側にはならずに歌と対峙しています。応援歌において、応援する側から応援される側への一直線の矢印が存在しているのみです。

 

 

 

「友よ」が凄いと感じるのは、この矢印が存在していないという事です。応援する側、応援される側、そんな線引きはこの曲に存在していないという点です。この曲は時に、関ジャニ∞が歌う、関ジャニ∞への応援歌です。時に、誰かが歌う、今門出に立つ関ジャニ∞への応援歌です。そして、時に、今日も足掻き続ける誰かへの、立ち上がれなくなりそうな誰かへの、関ジャニ∞の夢に自分の夢を重ねた誰かへの応援歌です。

 


関ジャニ∞は応援する側でありながら、応援される側にもなり、この曲を聴く「誰か」は応援される側でありながら、応援する側にもなり得る。関ジャニ∞が誰かに向かって叫ぶ「人生って最高だろう?」と、誰かが関ジャニ∞に向かって叫ぶ「人生って最高だろう?」が同じ大きさでぶつかり合っている。

「友よ」はそんな歌に聞こえます。

そこに矢印も線引きも何もありません。

 

 

 

この2年間、一体彼らはどんな思いでいたのだろうかと「友よ」を聴いて思うのです。人生色んな事があるねだなんて、そんな言葉では片付けられない程の悲しみも葛藤も、迷いも決断もあったのだと思います。

関ジャニ∞関ジャニ∞である前に一人の人間の集合体で、生きているのはそれぞれの人生です。全員の人生が絶妙なバランスと運命で交わり続けた点に関ジャニ∞という場所が存在しています。その交点が当たり前にずっと存在してくれる事はないんだと、来年も再来年も、何なら明日も確実にそこで一緒に笑ってくれている確証なんてないんだと、そう思う2年間でした。

 

 

 

だからこそ、関ジャニ∞を閉じるという選択肢も間違いなくあったであろう中で、きっと死ぬ程関ジャニ∞としての人生に向き合って、悔しさも悲しさも辛さも、前に進む意地も、言いようのない感情全てを引っ括めて歩み続ける事を決めた5人が歌う「人生って最高だろう?」「だからやめられないんだろう」は、ただの言葉の羅列には聞こえません。

 

 

 

たったこれだけの歌詞に、関ジャニ∞が乗せた想いの大きさは計り知れません。

 

 

 

 


「今日もわーわーわめき散らす

成長できない俺達が

この身に代えてでも守りたいものは

1円にもならない“信念”てやつだったりするんだよ」

 

 

 

 


これに尽きるのかもしれません。関ジャニ∞が守りたかったものは、決して目には見えないものだったのかもしれません。すべて推測です。それでも。

 

 

 

 


「答え無き時代に揺るぎない覚悟」

「夢見て打ちのめされてまた夢を見るんだ」

 

 

 

 

 

 

「友よ」は、今の関ジャニ∞しか歌えない。そう思うのです。

 

 

 

 

 

 

 


たかがシングル1枚と言ってしまえば、それまでです。それ以上でもそれ以下でもないのかもしれません。でも、なかったかもしれない1枚です。関ジャニ∞が閉じられる選択をしていたら、シングルは42枚で終わっていたかもしれません。続ける、と明示してくれたからには、買って、感想を伝えて、宣伝することで「続けてくれたことで、また関ジャニ∞の歌に救われた人間がいる」という声をあげたい、その声が1人でも多く届いて欲しい。続けてくれて嬉しかった事を。救われた事を。まだまだ応援していきたいという事を。

 

 

 

ということで非常に前置きが長くなりましたが、「友よ」の宣伝です。

 

 

 

【初回限定盤】

楽曲は「友よ」。大倉くん作詞、安田くん作曲、関ジャニ∞のメンバーや今までの道への想いを綴った「My Story」。セブンイレブン盤の映像で曲の作製過程がちょっとだけ覗けます。泥だらけ傷だらけでも、沢山転んでも、今ここにいて笑っていられる事への嬉しさが、優しくて暖かいメロディーで歌われていて、胸がいっぱいになります。映像特典には「友よ」Music clip、メイキング16分、全員分のソロアングルver5つが収録されています。これまた詰め込み過ぎ、それでも1400円+税。

https://tower.jp/item/4976454/友よ-[CD+DVD]<初回限定盤>

 


【通常盤】

楽曲収録「友よ」「My Story」に加え、いしわたり淳治さん作詞「Faaaaall In Love」という最強コンボ。軽快なアッパーチューンにスピード感のある歌詞。ユニゾンとハモリがテンポよく展開されていて耳馴染みの良さにあっという間に曲が終わってしまう1曲です。ジェットコースターが一番高い所から急降下する瞬間、世界がスローモーションに見える時の感覚を恋に例えた、今の関ジャニ∞が歌う恋愛ソングは必聴です。USJの「ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド」にて、来年1月6日まで搭載されています。

https://tower.jp/item/4976456/友よ<通常盤>

 


セブンイレブン盤】

店頭には絶対に並ばないセブンイレブン予約限定のレアもの。「5人のドキュメントぼちぼち大切な夜」と題された5人だけのバーベキュー映像特典。余計な演出、編集一切なし。夜中まで続いたバーベキューの映像、5人だけの素の関係性がふんだんに盛り込まれています。さらに、関ジャニ∞に対する誤魔化しの無い本音を、あまりにも真摯で、真っ直ぐな想いを、嘘偽りない言葉を聞くこともできます。今までの人生のどこかに少しでも関ジャニ∞が居るのならば、お酒とおつまみを用意して、腰を据えて見て欲しい映像。この映像の言葉に、これからの関ジャニ∞が詰まっている。関ジャニ∞からの長い長い手紙のようなものでした。見終わった時に、あなたの関ジャニ∞への想いを叫んでください。90分も映像特典があって、1500円。相変わらずの破格。買って後悔はないです。

https://7net.omni7.jp/detail/1301438537

 

 

 

 


最後にもう一度お知らせです。

関ジャニ∞43枚目のシングル「友よ」は本日11月27日より、絶賛発売中です。(その他BOY Tシャツがついてくるバージョンもあります。)宜しくお願い致します。

 

 

 

 

友よ、売れますように、じゃなくて、売れます。

思い出にもならずに君はここにいる

2019年9月30日。

 


今日という日が訪れるまで、時間は足早に過ぎ去ったように思うのに、とてつもなく長いトンネルを潜っているような気もした。亮ちゃん。今日は、アイドルとしての、ジャニーズとしての、錦戸亮という人の最後の日でした。

あなたへの気持ちを書くのは、きっと今日が最後になります。だから、最後の手紙を書くつもりで、今の想いを綴らせて下さい。

 

 

 

錦戸亮という人は、才能と運命に愛されたセンスの人です。何もない場所で0から1を生み出す事が出来る人もいれば、その1を100に変えることが出来る人もいます。亮ちゃんは、そのどちらをも賄えてしまう人でした。天才って、きっとこういう人なのだろうと思えるほどに、なんでもやってのけてしまうような。
歌うことも、踊ることも、演技をすることも、曲を作ることも。常人には到底及ばない圧倒的なセンスがそこにはありました。それは誰にも真似できない、錦戸亮という人だからできる事でした。

 


亮ちゃんに出来ない事もありました。人見知りで一人で現場に馴染んでいけないこと、番組でトークを回したり無茶振りを切り返すこと、魚の骨をうまく取れないこと、対人関係はこと不器用で口下手で素直になれないこと、かと思えば、思ったことをすぐ口に出してしまうこと。錦戸さんとはあまり話さなかったと共演者の方に言われて苦笑いする事もしばしば。番組進行はほぼやって来なかったので、いざやればカンペ丸読みな進行をしてしまう。俺は苦手やから、できないから、だからメンバーがいると安心すると話す。番組で出た魚の骨も、取って欲しいとメンバーに甘える。恥ずかしがり屋なあまり、素直にその想いを口にする事もあまりなかった。それでも間違ってると思ったことにはきちんと抗って、絶対に筋を曲げなかった。

 


でも亮ちゃんに出来ない事なんか、多分なかったんです。とても器用な人なので、きっと何でも出来ます。人見知りで口下手でも、時間こそかかりますがちゃんと相手と対峙できる人でした。自らコミュニケーションを避けて、必要な関係を捨てて通る人ではありません。トークも返しも、そのうまく立ち回れない感じが素直で可愛くて、面白くもありました。バラエティでタイミングに愛されて奇跡を連発する人でした。魚の骨の取り方も自分で調べるし、今では魚も捌けます。思ったことはすぐ口にしてしまっても、自分の信念に反することには納得しない一貫した姿勢の現れでした。

 

亮ちゃんに出来ない事なんか、きっと一つもないんです。

 

 

 

 


天才だ、センスがあると書きましたが、才能やセンスだけで成り立つ仕事ではありません。

 


錦戸亮という人の根っこには、恐ろしい量の努力が埋まっています。あんな膨大な仕事量は才能だけでこなせるようなものではありませんでした。それなのに、その努力が見えないように土の中にすべて埋めて隠してしまう人でした。多分、頑張ってるね、とか、大変でしょ?って、言われるのが嫌いな人でした。そんな亮ちゃんが、関ジャニ∞の中で少しだけ荷物を降ろしてくれているように見えて、そんな所もとても好きでした。

 

 

 

8周年の時、今後の関ジャニ∞について聞かれて「展望を考えるっていうよりも、この先はいつどうなるか分からへんからっていう思いで毎日やってる、俺はね。それは悪い意味じゃなくて、何事にも絶対終わりが来るとは思うから、その時に全員が「終わりにしよ!」って満足して言えるように」と話していた事がずっと心に残っています。

あの時、まさか今日みたいな日が来るなんて思っていなかったけど、多分本人も想像だにしていなかっただろうけど、いつ終わりが来てもいいように、今日まで一つの弱音も吐かずに生きてきたんだろうな。その言葉の後に付け足した、「だってそれは、死ぬほど頑張った人間だけが言えることやと思うから。」という言葉がすべてでした。

 


誰が見たって、どう考えたって、錦戸亮というアイドルは「死ぬほど頑張った人間」でした。

 

 

 

 


大倉くんが「チャレンジの方向性の違いです」と言ったように、「もう好きや嫌いなんて感情を超えたメンバー」という言葉が綴られたように、亮ちゃんが関ジャニ∞を嫌いになってこの場所を去るんだろうなという気持ちは微塵もありません。好きだからここに居るとか、嫌いだから離れるとか、もう関ジャニ∞はそういう次元の人達ではない。そう思える根拠は、今まで自分の目で見てきた関ジャニ∞錦戸亮に他なりませんでした。

色んな顔を見てきました。関ジャニ∞の中で歌って踊って、笑って、泣いて、怒って、ふざけて、はしゃいで、息をしている錦戸亮という人を、ずっと見てきました。関ジャニ∞としてステージに立って、ギターを鳴らして、マイクを握って、楽しそうな顔で関ジャニ∞のことを見つめる錦戸亮という人を。甘えん坊で、照れ屋で、寂しがりで、強がりで、素直じゃなくて、不言実行で、少し歩き方が変で、偏食で、笑った顔が小さい時から変わらない、そんなアイドルを、ずっと見てきました。

横山さんにステージ上でどうしてもバナナジュースを飲んで欲しくて、衣装もろくに着ない状態で作りたてのバナナジュースを息を切らせて持ってきたあなたが好きでした。雛ちゃんに鼻をかませてもらったり口元を拭いてもらったり魚の骨を取ってもらったりお世話される事に慣れすぎて、新幹線の隣の座席でオレンジジュースだけを飲んでいた自分に「亮、腹減ってないか?」と心配してくれなかった事に凹むあなたが好きでした。渋谷さんとの嬉しかった事のエピソードで、麺の端が焦げたたらこスパゲティを作って食べさせてくれた事を延々話すあなたが好きでした。丸ちゃんと同じ高校に行きたくて、2時間かけて通学していたあなたが好きでした。安田くんに「亮は人見知りで寂しがり屋やけど、人一倍優しいよね」と言われて泣いてしまうあなたが好きでした。いきなりドッジでやたらと大倉くんから狙われるから「俺大倉に嫌われてるんかな?なんかしたかな?」と寂しくなるあなたが好きでした。

だから「なんでもっと関ジャニ∞に居てくれなかったの」なんて言えません。そりゃあ、ずっと居てくれたら嬉しいけれど、寂しくない悲しくない訳ないけれど。こんなに関ジャニ∞の事が好きな人の決意を、こんなに頑張った人の決意を、止めることなんて出来ません。

 


亮ちゃんの人生は、亮ちゃん以外の誰のものでもありませんでした。それは、関ジャニ∞全員に言える事です。

 

 

 

 


関ジャニ∞の事を「幼馴染みたい」と言っていましたね。この言葉が好きでした。

幼馴染は、いつか離れ離れになっても、学校や職場が違っても、住んでいる場所が遠くなっても、喧嘩しても、きっと死ぬまで幼馴染です。夢や未来や進んでいく先が別れても、十数年ぶりに再会して、昨日の続きのようにまた同じ話ができるのは、友達でも家族でもなく、同じ記憶を共有してきた幼馴染だけです。だから、この言葉が好きでした。

 

 

 

 


9月5日、あの発表があってから初めて聴いた関ジャニ∞の曲が「夕闇トレイン」でした。今までそんな事感じた事なかったのに、あの日からこの曲は私にとって亮ちゃんの事を歌っているように聴こえてなりません。「濁した言葉尻の理由も聞けなかったな  でも時刻表通りにあの列車はやってくる」亮ちゃん本人の口から、明確な理由を聞くことはなかったけれど、毎日は進んで、カレンダー通りに今日という列車はやってきました。

まだ行かないで欲しかったな。まだここで笑っていて欲しかったな。そんな事を思えてしまうほどに、関ジャニ∞の中で笑うあなたが好きでした。「抜け殻になるほどに  君を想っていたんだ」「悲しいのに涙は  こんな時に限って  出てこないや」あの日から抜け殻のようになって、涙も出なくて、いつか訪れる今日をただただ待つことしか出来ませんでした。

 


あなたが笑っていた日々を、まだ過去には出来ないでいます。例え今日が最後でも、あなたが関ジャニ∞にいた毎日を、私はまだ、思い出にすることは出来ません。

いつか、8人の関ジャニ∞を宝箱に仕舞った時のようになるまで。7人の関ジャニ∞を手の中に握りしめて進んでいく事を決めた時のようになるまで。いつかそう思えるようになるまで。夕闇の中に消えていく列車の明かりが見えなくなるまで、アイドルだった、ジャニーズだった、関ジャニ∞の中にいた錦戸亮という人の姿がこのプラットホームから見えなくなるまで。ここに立って見送っていたいなと、思います。

 

 

 

 

 

 

 


亮ちゃん、幸せになって欲しいな。

好きな事をして、好きに生きて欲しいな。

あなたの人生です。

 

 

 

一つだけ我儘を言っても良いなら、たまにでいいから、関ジャニ∞の中で歌っていた日のことを、笑っていた日のことを、思い出してまた笑って欲しいな。

 

 

 

 


今日まで本当にお疲れ様でした。

そして、沢山の気持ちをありがとう。

大好きだったよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

違う、これからも大好きです。

 

 

 

2019.9.30.

関ジャニ∞という船の帆

言葉がまとまらないと言うよりは、今自分がどんな感情でいるのか分からない、という方が正しい。16時の発表からまだ一度も泣いていない。涙が出ない。仕事に忙殺されながらメールの件を知った。仕事中だから泣けないという事もあったけど、ただ単純に「分からなかった」。やめてしまう理由も、僕なりのエンターテイメントが指す意味も、関ジャニ∞が、もうすでに再来月のツアー開始を決めている事も。

 


分からない。分かる訳がなかった。

私は亮ちゃんでもなければ、関ジャニ∞でもない。

 

 

 

 


3月頃からまた不穏なものを見聞きするようになり、見えないように聞こえないように蓋をしていても、思いもよらぬ方向から腹をナイフで刺されることがあった。「やめるの?」「関ジャニ∞どうなるの?」というハラスメントにボタボタ血を流して、刺さったままのナイフを抱えながら、そんなのこっちが聞きたいと思っていた。

だから、予防線を張って生きていた私もきっといる。私は関ジャニ∞が好きだから、彼らの言葉以上に信じるべきものはないと思っている。けど、私は関ジャニ∞が好きだから「もうこれ以上、関ジャニ∞のことで傷つきたくなかった」。だから刺されたナイフを抜かなかった。抜いてもっと血が出るのが怖かった。これも本音だった。

 


16時、刺さったままになっていたナイフは、関ジャニ∞の手によって抜かれたのだと思っている。沢山血は出たけど、痛かったけど、傷口はできたけど。知らない人に傷つけられるよりは、ずっとずっと良かった。

語弊があるけど、関ジャニ∞の言葉になら傷つけられても良かった。それは一種の覚悟のようなものだった。

 

 

 

明確な理由が開示されていない以上、公式に発表された言葉が、動画での関ジャニ∞の言葉が全てだ。それ以外は憶測に過ぎないし、本人でなければ真意を知る術もない。その背中にどれだけのものを背負おうとしていたのか。去年からどんな思いでGR8ESTを駆け抜けてきたのか。何を考え、今回の結論に至ったのか。その本音も、背負ったものがどれだけの重さだったのかも、関ジャニ∞への想いも、これから何をしていきたいのかも。書いてないから分からない。こうであって欲しいと願う事はできるけど、断定にはならない。

 

それでも、「これからの関ジャニ∞は僕が引っ張っていきます」という言葉が嘘だったとは思わない。あの言葉が嘘だったなんて、あのツアーを見て言えない。そこに嘘も虚勢もなかった。私の中では確信だけど、これもまた想像の範疇を出ない。

 

 

 

分からない。分からないから好き勝手言わせて欲しい。十五祭の大倉くんの挨拶が、ずっと頭の中を木霊している。「僕たちが、最低で最弱な時も、ずっと愛し続けてください」。

動画で見た関ジャニ∞は、満身創痍そのものだった。7分ちょっとでは絶対に説明し切れない山ほどの事態を、一つ一つ言葉を選び、しかも11月からもう一回47都道府県ツアーをするなんて発表もして。

 

もしかしたら今が一番、私が関ジャニ∞を見てきた17年という月日の中で、彼らが言う「最低で最弱な時」なのかもしれないのに。関ジャニ∞自身の「最低で最弱にさせるか」という決意を目の当たりにして、言葉を失った。決意なんて薄っぺらいものじゃない。これは、関ジャニ∞の人生の賭けだ。

休む事も立ち止まる事も選択肢としてあったかもしれない中で、それを選ばなかった。亮ちゃんの選択の一方で、5人は「関ジャニ∞を続ける」選択をした。ただ単に「残った」「残された」訳ではなかった。続ける選択をしたからには、賭けに勝たなければいけない。

 

 


横山さんは同じく挨拶で「関ジャニ∞は、もう僕たちだけのものではない」と言った。関ジャニ∞だけの結論で、関ジャニ∞の進退を決めてはいけない事はよく分かる。ファンも大勢居る、膨大な数の人間が関わっている大きな「関ジャニ∞」という船の舵を勝手に切れないという理屈はとても分かる。

 


けど、そんな事じゃない。

9月3日にツアーを終えたばかり、個人仕事が詰まっている中で5人での再始動、再来月からの47ツアーの強行スケジュール。周りに配慮して関ジャニ∞を止められないというよりも、5人の「関ジャニ∞を止めてはいけない」なんていう意地のようなものを感じた。

何が正解かなんて今の時点で誰にも分からない。休むのが正解なのか、がむしゃらに進み続けるのか正解なのか。

 

 

 

 


ただ、関ジャニ∞は、自分たちが選んだ道を正解にしようとしている。

何も分からないけれど、関ジャニ∞についていくしかないって事だけは、今強く感じている。

 

 

 

 

 

 

ただ、本当に勝手ながら、関ジャニ∞は如何なる時も「関ジャニ∞の気持ちを最優先する」場所であって欲しい。船には大勢の人が関わっているけど、その船に乗り込めるのは他でもない関ジャニ∞だけで、その本人達が疲れてしまったら意味がない。関ジャニ∞が休みたいなと思ったら帆を下ろして、進みたいなと思ったら帆を上げられるようなグループであって欲しい。

 

 

 

 

 

 

その中で、帆を上げ続ける選択をしてくれた、関ジャニ∞という船を進ませ続ける事を選んでくれた、「関ジャニ∞」に私はついていきたい。

 

 

 

強いな、関ジャニ∞は。違うか、強くありたいんだろうな。少し先どころか、もう見えない程先まで全速力で走って行ってしまっているところが、おかしいくらいに寂しくて愛おしくて、やっと涙が出た。

 

GR8ESTというツアーを振り返る

ただのツアーの裏側ではない、関ジャニ∞が駆け抜けた2018年のドキュメンタリーだった。
そこにいたのは、「関ジャニ∞」という14年をかけて自身が積み上げた大きな壁と真正面から向き合う、6人の姿だった。

 

 

4月25日のスタジオリハーサルから映像は始まる。あの会見の、僅か10日後の事。まだファンが全く前を向けていない時、関ジャニ∞は前を向き始めていた。否、向かざるを得なかった。3ヶ月後に迫ったベストアルバムを引き下げての全国ツアー。そこに療養中の安田くんの姿はない。渋谷さんのパートを振り分けて、手探りのままリハーサルが始まる。新たに主旋律を担当する者が今までハモりをしていれば、自ずと変更点は複数に及ぶ。一つ一つ、確かめるように意見を擦り合わせ、着地点を探していく5人。圧倒的に時間がない事が伝わる。時間がないんですなんて、誰もコメントしていないけど、急ピッチで打ち合わせながら、関ジャニ∞は、関ジャニ∞を取り戻そうとしていた。

 


6月3日のバンドリハーサルからは、安田くんが参加していた。リハーサルの合間にスタジオの床に寝転ぶ姿。立ちっぱなしだと骨に負担が掛かると話す。そんな状態なのに可哀想とか、それでもリハに出てきて凄いとか、そういう事ではない。安田くんもまた、自分と今と未来と、戦っていた。

 

 


7月6日、ダンスリハーサル。ツアー初日の札幌公演は1週間後に迫っている。スタジオの使用時間制限、メンバーの個人仕事がある中で、少しでも多くの課題を整理しようと、積極的に意見を出す姿があった。

7月8日の関ジャム生放送を挟んで、7月9日にはドレスリハーサル。「10分休憩する?」という亮ちゃんの声に頷く安田くん。実際の衣装を着用しての通しリハーサルは、想像以上に辛そうだった。安田くんの体調を考慮できるよう変更をかけながらも、それでも関ジャニ∞は、前を向くことをやめなかった。


亮ちゃんが「一歩先に行っときたい、ファンの人より」と語ったように、ギターを背負っているだけで痛みがある安田くんが「大丈夫じゃないけど、顔を見せて安心してもらいたい。一回中止にするって決めたけど、立ち止まっちゃいけないのが今なのかなって」と語ったように。立ち止まらないことを決意した関ジャニ∞のツアーが、7月15日、始まった。

 

 

 

札幌公演。
関ジャニ∞は、7人の関ジャニ∞を無かったことにしなかった。渋谷さんの名前を出して、横山さんが「すばるに負けない」と言った。渋谷さんがいた時間を、そこで培ったものを、渋谷さんへの今の思いも、包み隠さず話してくれた。初日がどうなるのか分からない不安を抱えていたのは、本人達もファンも同じだった事を知った。「湿っぽくやりたくなかったから」。終演後に安田くんが呟いた。強がりでも虚勢でもなく、そこに嘘はない。
関ジャニ∞は14年目の大きな塊の上に一つ、新たな経験値を積み始めた。

 


名古屋公演。
札幌から、1週間後。3日連続公演。
言い聞かせる訳でもなく、力強く「6人の関ジャニ∞、俺はかっこいいと思います」と挨拶で話した大倉くん。新たに加わった歌割りを忘れてしまい「すばるくんの所、歌い忘れちゃった…それだけはやらんとこうとしてたのに」と落ち込む丸ちゃん。泣いている客席に「名古屋!笑え!!」と叫んだ亮ちゃん。一歩先に行っときたい、札幌でそう言った通り、ファンの手を力強く引いて笑った。関ジャニ∞は、二歩目を踏み出した。

 


大阪公演。
関ジャニ∞を100とした時、7で割ると一人当たり14.28の関ジャニ∞を背負っていた。それを6で割る事になっても、16.66になる。一人当たり、背負う関ジャニ∞は2.38くらいしか増えていない。それくらい僕らはできる。だからツアーをやることを選んだ。」亮ちゃんのこの挨拶は記憶に新しい。彼らしい正論で、彼なりの優しさだった。
「いまだに僕は釈然としない部分もある、けど、彼が残してくれたものも沢山あって、そのお陰でもっと絆が強くなったような気がしてる。」大倉くんは一番、ファンのような考え方をこぼしてくれる人だった。関ジャニ∞が前を向いている事で同じように前を向ける人もいるけれど、どんどん周りが前を向く状況に苦しくなってしまう人もいる。前を向けない自分を責める人もいる。そんな時に大倉くんがふとこぼす小さな言葉に、会見の時の駄々をこねる不貞腐れた子どものような顔を思い出して、まだ燻っていても良いことを伝えてくれているような気がした。彼らの優しさは、すべて形も違っていた。

 


東京公演。
ツアーは折り返しに来ていた。「きついけどな」とカメラに向かって笑う安田くんは、本当にきつかったのだろうけど、それを決して顔には出さなかった。最後に立てなくなった雛ちゃんも、壇上では声を出すことをやめず、裏に回った途端に崩れ落ちたように見えた。色んなことがいっぱいいっぱいだった。命を削ってステージに立つようなものだけれど、ファンに見える場所で絶対に帆を下ろさない人達だった。

 


福岡公演。
追加、振替公演を除けば、国内でのツアー最終地。気付けば、ツアーが開幕してから2ヵ月が経っていた。「6人でここまで来れた、完走できたというのが、僕は全てかなと思っています。」という挨拶の最後に、心底ほっとした顔で小さく「良かった」と笑った大倉くんに、涙が溢れて止まらなかった。時々アイドルは、いつも強く前を向いてるなんて思い込んでしまいがちだけど、彼らだって人間で、不安で心配で、どうしようもない気持ちを抱えている時だってある。「皆さんが笑えるような、僕らも笑っていられるような、そんな未来を作っていきたい」「自分の信念に嘘をつかずに言葉を届けられるような自分でいたい」「楽しくやってこられた、1番の今年の財産になった」それでも、十分すぎるほど、沢山の嘘偽りない言葉をもらった。

 

 

 

関ジャニ∞が立ち止まらなかった理由。
関ジャニ∞が、渋谷さんのことを、安田くんのことを経て、一度中止でまとまった話を、それでも、今、このタイミングでも、もう一度ツアーをやろうと決意した理由。

 

立ち止まらない事を初めから正解だと確信していたからじゃない。悩んでもがいてぶつかって、初日まで不安を抱えて、それでも出した立ち止まらないという結論を「正解にする」ために走り抜けた。決して関ジャニ∞の2018年は美談ではないし、DVDに収録されている映像は極一部で、メディアを通して語られた思いも極一部で、そのほとんどが、きっとこの先語られることのないであろう、彼らだけが知る気持ちなんだろうけど。

 

 

それでも、良かった。
そこに居たのは、人間らしくて、弱気で、強気で、等身大の関ジャニ∞だった。冒頭でも書いたけど、単なるツアーの裏側ではない。関ジャニ∞と向き合う6人の、血の通った人生だった。

 

 

大倉くんが去年のANNで語った「いなくなった一人分を埋めるっていうと、7人だった時の自分たちを継続することしか出来なくなってしまう。」という言葉が、ずっと頭から離れなかった。
7人の関ジャニ∞を継続せず、且つなくさないことも、6人の関ジャニ∞を新たに作り上げることも、どちらもバランス良く保つという事はきっととても難しい。それでも彼らは笑って、それをやってのけてしまう。


6人の関ジャニ∞を固める一方で、特典映像の中で突然「すばるくん元気かな」「結構連絡してるけど」なんて言ったりする。そんな所も、泣けるほど大好きだ。そんな所も、とっても愛しい。

 

 


激動なんて言葉では表現し切れないほど、色んな思いで駆け抜けた2018年のGR8ESTというツアーを、やろうと決めてくれて、やり切ってくれた関ジャニ∞に、伝え切れない程の感謝と敬意を込めて。

 


GR8ESTが少しでも多くの人に見てもらえますように。(下にリンク貼ってますので、未購入の方は是非)

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希望の歌とマイクコード

あの会見からもうすぐ、3ヶ月が経とうとしている。

 


いつか訪れる7月15日に、目を背けて生きてきた。あの会見を除けば、バラエティーでもラジオでも、ジャニーズウェブの連載でも、目にするのは耳にするのは、いつも通りの7人の笑顔と声と姿で、何度も何度も夢なんじゃないかと思った。あの日の事が嘘だったみたいに、あまりにも嘘だったみたいに、どの瞬間を切り取っても、そこには「いつも通り」の関ジャニ∞しか居なかった。


ラストと銘打ったどのレギュラー番組にも、最後まで沢山のメールを読んだスバラジにも。終わりが来るその瞬間まで、終わる気配を感じ取れないくらい、そこにはいつもの渋谷さんが居たし、いつもの関ジャニ∞が居た。

 


7月8日の夜も、そうだった。
お気に入りのセッションについてエピソードを語る時も、いつも通りお互いを褒め称える。恥ずかしかった思い出を掘り返し、いつも通り楽しそうに笑う。本当にやめてしまうの?と思った。でも、分かっていた。知っていた。その時はもう、そこまで来ている。

最後のセッションでさえも、最後の最後の最後の、本当に最後の瞬間まで、関ジャニ∞はこのままの形で続くんじゃないかと思えた。それくらい、関ジャニ∞が見せてくれたものは「変わらない姿」だった。私が知っている、最高の関ジャニ∞のままでいてくれた。だからこそ。だからこそ。彼らの決意を無視する事になるかもしれないけど。このまま、時が止まってくれれば良いのに。そんな事を思ったら涙が溢れた。

 

 


見せてくれた幾つもの「変わらない姿」の中に少しだけ「そうじゃない姿」を見た。ジャニーズウェブで「次のステージしか見据えていない」と言い切った亮ちゃんが涙をこぼした。「寂しい」と言った。ラジオで「明日泣いていたらごめんなさい」と言った大倉くんが最後まで笑顔だった。クロニクルの収録でHeavenly Psychoをセッションする事になった時、準備の輪になかなか加わろうとしなかったのが横山さんと丸ちゃんだと知った。

きっとそれだけではない。安田くんは怪我を押した出演にも関わらず優しく笑っていたし、雛ちゃんは会見の時から本当にブレずに一貫した姿勢でいるけれど、表に出ていないだけで、関ジャニ∞には数え切れない程多くの「いつも通りではいかなかった瞬間」があったのかもしれない。

 

 

渋谷さんは今回、色んな場所で、色んな番組で「6人の関ジャニ∞をよろしくお願いします。」と繰り返し伝えていた。渋谷さんのその言葉はまるで自身に言い聞かせるようで、聞くたびに胸が詰まりそうになった。自分の意思で今回の事を決めた渋谷さんが、寂しさを口に出す事は自分の中で筋が通らない事だと感じているかもしれない。
けれど、渋谷さんは関ジャニ∞の事を嫌いになって離れる訳ではないのだから、と思ってしまう。離れるの、寂しいなあって、言ってくれたらいいのにと思ってしまう。きっと、そんな事を渋谷さんの口から聞いたら「じゃあやめるのやめたら良いのに」と感じると思う。自分でも滅茶苦茶な事を言っているのは分かっている。
それでも、渋谷さんが自分の寂しさに蓋をして、涙目で、6人の関ジャニ∞をよろしくお願いしますと言っているのを見ると、渋谷さんにその寂しさを吐露できる場所があればいいなと感じる。そして表立って渋谷さんが寂しいと口にしなくても、それを肌で感じて受け止めてくれるのが、関ジャニ∞という場所であればいいなと切に願った。

 

 


正直、まだ全然受け止められていない。それでも、向き合う時間を与えてもらったとも思う。
4月15日から、来る日も来る日も、あの日の関ジャニ∞の決意を少しずつちぎっては口に運び、一口にも満たない量をもたもたと噛み締めながら、味を忘れないように飲み込んできた。
悲しかった。寂しかった。考えないようにしても、生活の中でふと、涙が溢れる時があった。どの景色にもどの思い出にも関ジャニ∞が居たから、生きているだけで荒療治だったけど、それだけ私は自分の人生を、関ジャニ∞とともに生きてきたのだと痛感した。

 

 

関ジャニ∞について、私達が知っている事は、ほんの一部に過ぎない。そのほんの一部からも、十分すぎるほどに、関ジャニ∞が強い人たちだという事は伝わっている。強くて、仲間思いで、負けず嫌いで、素直で、優しくて、泥臭くて、人間らしい。

 
生きている、と思わせてくれる。
関ジャニ∞も、私達も。周りを巻き込むエネルギーは強大で、関ジャニ∞に惹かれていく人達は皆、そんな関ジャニ∞の根底にある「生きる力」に惹きつけられる。
今回の事に限らず、関ジャニ∞を見ていると思う。寂しがって良い。悲しがって良い。泣いても良い。強がって良い。前を向いても良い。前を向けなくても良い。泥臭くて良い。どんな感情を抱くのも、間違っていない。関ジャニ∞も私達も生きているから、進んでいくスピードも歩幅も違う。俯くし、涙は落ちるし、後ろを振り返る。それでも良い。

関ジャニ∞の事を好きだからこそ抱く色んな感情を、関ジャニ∞を見ていると肯定してもらっているように感じる。
だから、まだ寂しいし悲しいし、それでも、関ジャニ∞と渋谷さんを応援したい強い気持ちに1ミリの嘘もない。

 

 

 

渋谷さんの事を、頭でちゃんと理解できるまでに恐ろしい程の時間が掛かることは分かっている。10年掛かるか20年掛かるか分からない。全てを飲み込んで、全てを受け入れて、全てを理解した時、もしかしたら関ジャニ∞はおじいちゃんになっているかもしれない。でももうその頃にはグループとか、事務所とか、関係ないとも思う。また渋谷さんを呼んで、全員で歌って欲しい。昔、ずっと一緒におったなって、笑って欲しい。表舞台であれば嬉しいけれど、そうじゃなくてもいい。私達の知らないところでいい。関ジャニ∞が途切れず繋がっていた事を、関ジャニ∞だけが分かる形で良いから、証明して欲しい。そんな我儘を言わせて下さい。

 

 
渋谷さんは関ジャニ∞から離れるかもしれないけれど、渋谷さんがいた時間はなくならないし、渋谷さんが叫んだ声も、歌った歌も、踊ったダンスも、頭からかけて欲しいとか何ヘクタール食えるとか独特な食レポも、圧倒的な笑いのセンスも言葉選びも、周りから愛され慕われる力も、くしゃくしゃの笑顔も、全部、ちゃんと存在しているし、消えたりしない。無かったことになんか、ならない。
関ジャニ∞は6人になるかもしれないけど、7人の関ジャニ∞も、8人の関ジャニ∞も、まだ私の中で生きている。だから絶対なくさない。
なくさないように、宝物みたいに大切に大切に手の中に抱えながら、これからの関ジャニ∞と渋谷さんを、応援していきたい。両手にありったけの力を込めて。その背中を押したい。もう既に、涙を拭いながらでも、走り出そうとしているその背中を。

 

6人の関ジャニ∞と渋谷さんを応援する事と、7人の関ジャニ∞と8人の関ジャニ∞を忘れる事は、決して、同義ではないから。

 

 

 

関ジャニ∞も、渋谷さんも幸せになって欲しい。きっと、幸せにならければいけない人達だと思う。沢山の悲しみも逆境も乗り越えて、それでも尚、強く前を向いて笑っている人達だから。

 

 


どうか。

 


関ジャニ∞の歌う希望の歌が、遥か遠く未来まで届く事を。
その遥か遠い未来で、渋谷さんの赤いマイクコードが伸びる先が、もう一度関ジャニ∞と出会う新たな場所である事を。願っています。

 

 

 

いつか、また。

 


逢えるよね。

 

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2018.7.14

 


ずっと。ずっと。今までも、これからも。
関ジャニ∞が、大好きです。

関ジャニ∞への気持ちを綴る

悪い夢を見ているのかもしれない。


それくらい現実味がなくて、嘘みたいで、今にも、ドッキリでしたって笑ってくれるような、そんな気がした。

 

今朝9時30分にファンクラブ会員宛てに「大切なお知らせ」と銘打ったメールが届いた。11時にファンクラブ会員ページでお知らせを公開するため、下記URLから各々ログインして確認して欲しいと。先週末からの雑誌やネット記事の不穏なものは現実味もなくスルーして来たが、このタイミングでのファンクラブ公式からの「大切なお知らせ」なるものに背筋が凍る思いだった。関ジャニ∞からのお知らせ、ではなく、関ジャニ∞のメンバーからのお知らせ。グループ全体というよりは、1個人からのお知らせであることは見て取れる。
経験上、「大切なお知らせ」が良いものだったことは無い。11時までの、地獄の1時間半。正直、今まで生きてきた中で一番長い1時間半だった。

 

11時。

文面を見て、溜息と涙と一緒に「そうか…」と溢れた。
1時間半の間に、最悪のことを何度も想像した。でも、結果はその最悪のものだった。「関ジャニ∞を脱退およびジャニーズ事務所を退所」。
夢を見ているのかと思った。夢であって欲しいと願った。夢でなければいけなかった。楽しそうにグループ活動をして、メンバーのことも、関ジャニ∞のことも大好きで、5月にベストアルバムをリリースして、7月からツアーに回るのに?全く飲み込めなかった。理解したくないと言うよりは、理解出来なかった。呼吸が浅くなる。手が震えて、口が渇く。理解できない自分と、文面を読み進めて理解しようとしている自分がいる。
アイドルなりグループなりを応援していると聞く、「明日は我が身」。その明日は、今日、突然に来てしまったのだと感じた。

 

脱退理由は「今後の人生を音楽で全うすべく、海外で音楽を学び、今後さらに、自分の音楽を深く追求していきたいと思いました」。渋谷さんは、こんな時でも嘘をつかない人だった。
そこに、関ジャニ∞が嫌になったから、アイドルが嫌になったからというものは1ミリも感じ取れなかった。これは想像の範疇を出ないが、関ジャニ∞でありたいという思いと、音楽を学びたい思いのバランスが取れなくなったのかもしれない。とても素直で真っ直ぐで不器用な人だから、両者をバランス良く抱えて生きていく事が難しかったのかもしれない。

「ここから先の人生は自分だけの責任でどこまでやれるか、に懸けてみたいと思いました」。関ジャニ∞に、ジャニーズ事務所に居続ける事は、容易ではないにせよ渋谷さんにとってもそれはある程度の保証を約束されたものであったことは間違いない。ましてや中堅グループであり、コンサートもリリースもレギュラー番組においても安定している状態で、単純に考えればその地位を捨ててまで?とも思われてしまう。
だからこそだった。
関ジャニ∞の事をこんなに好きな人だからこそ、生半可な答えを出さなかった。グループに居ても出来る事かもしれないという話も出ていたが、自分で退路を絶つ事で、関ジャニ∞に保険をかけられないようにした。関ジャニ∞として歩いてきたから、関ジャニ∞を盾にしないで生きていく決意をした。

 

この人、関ジャニ∞のこと、大好きなんだなあ。私たちが思っているより何倍も、関ジャニ∞のこと大好きなんだなぁ。

 

「しつこいと思われるほどに止めた」と亮ちゃんが語っていたように、「関ジャニ∞としてやっていく事はできないのか?日本に居ては出来ない事なのか?」と大倉くんが問うたように、脱退の申し出を聞いた時の雛ちゃんの第一声が「なんでや、嫌や」だったように、横山さんが「この日が来て欲しくなかった」と言うように、丸ちゃんが「メンバーであることに変わりはない」と言い切ったように、安田くんが怪我を押してまでこの会見に同席したがっていたように、みんな、ギリギリまでこの結末が来ないように戦っていた。みんな、関ジャニ∞7人でいられる方法はないかを模索していた。それを知ることが出来ただけでも嬉しかった。


関ジャニ∞はどんな存在?と聞かれ、「自分の中では、大切で大きい存在。家族より長い時間を共に過ごしてきた人たち。中途半端な覚悟や中途半端な思いでは、何一つできない。何をするにも全員、命懸けで取り組んできたからこそ今がある。」と答える。
しんどかった事は?と聞かれ、「楽しいことしかなかったですね。一人じゃなかったですから。ありがたいことに、仲間がずっと横にいてくれた。誰かがつらそうな時、助け合ってきたのがこのグループの良いところ。大阪から一緒に出て来た、絆の深い仲間。楽しい、いい時間がほとんどでした。」と答える。

関ジャニ∞が、関ジャニ∞自身が、一番関ジャニ∞のことを好きなんだという事が、痛いほどに伝わる会見だった。だからこそ苦しかった。だからこそ涙が止まらなかった。だからこそ、じゃあなんでなんでと堂々巡りを続ける他なかった。
そこに居たのは、グループを出て行く1人と残された6人ではなくて、関ジャニ∞として旅立ちを決め、関ジャニ∞として送り出す事を決めた、7人だった。


どんなグループにも、どんなユニットにも、どんなアイドルにも永遠や絶対はない。これはよく聞くし分かっていたつもりだが、ファンは「分かりたくない」生き物である。
自分が好きなアイドルだけは、自分が応援するアイドルだけは永遠だと、絶対だと、次があると信じる。だって、好きだから。この人達を応援してもいつか終わるよな、とか、どうせ解散するよな引退するよな、なんて、思いながら応援しているファンは居ない。好きだから、続いて欲しいから、お金をかけるし会いにいくし応援する。好きだから、「いつか終わるかもしれない」ことを分かっていても目を背ける。何度額に「別れ」の銃口を突きつけられても、永遠を信じて疑わない。永遠はないと、分かっていても学ばない。学びたくない。ファンってそういう生き物じゃないんですか。
会いに行ける時に会いに行く、お金をかけられる時にかける、後悔しないように応援する、ということはとても大切だという事を、いつも失ってから気づく。いつも、突きつけられた別れの引き金を引かれてから、とても不安定な存在に寄りかかっていた事を知る。


渋谷さん。
分かりたくなかったよ。あなたがどれだけ悩んで葛藤して決めたのかを、知りたくなかったよ。知ってしまったから、もう送り出すしかないじゃない。関ジャニ∞のことを大好きで、大切に思って、だからここを出るってそんな天邪鬼なこと、目に涙をためて言わないで欲しい。もっと辛くなる。


誰かを失った穴は、塞がるわけではないことを知っている。関ジャニ∞は7人ではなく、8人だった。その場所は、誰かが埋めたわけでも、ファンが埋めたわけでも、経験値や思い出が埋めたわけでもない。7人の関ジャニ∞も事実だけれど、8人の関ジャニ∞もまた事実であり、嘘ではなかった。穴は塞がれずにそのままの状態で残り、時々そこを吹き抜ける風を見て、昔を思い出す。だから、嘘にしたり隠したりしなくていい。
渋谷さんの穴は、確実に大きなものになる。それを分かっていて今回の決断に至ったのだろうから、関ジャニ∞が「やっぱり渋谷さんが居ないと駄目だね」なんて、渋谷さんが「やっぱり関ジャニ∞に居た方が良かったね」なんて、言われないくらいに活躍してくれないと、今回の事は何だったのか分からなくなる。この選択が間違いじゃなかったと、この別れが無意味なものじゃなかったと思わせて欲しい。そうでないと、誰も報われない。

道は別れるけれど、関ジャニ∞としてやってきた運命は強い。平行線じゃないから、いつかまた交わる時が来る。いつかまた、笑って交わることが出来る日が来る。全員同じ所(首の後ろ)にホクロがあるグループもまあ居ない。今、別れることが必然だとしたら、14年前に関ジャニ∞になったことも、そしてまたこれから道が交わることも必然。そう思いたい。

 

綺麗事ばかり書いたけど11時からずっと泣いているし明日から仕事どころではないし、我儘を承知で言うけど渋谷さんには関ジャニ∞を脱退して欲しくない。結局。
渋谷さんが居なくなった関ジャニ∞なんて、全く想像できない。誰が真ん中でマイクを握るの?誰がファンの名前を叫んでくれるの?誰があなたが居たその場所に立つの?もう渋谷さんをセンターに据えた関ジャニ∞を見ることはできないの?あなたが誇りだと言った関ジャニ∞の中で笑う、あなたを見ることはもうないの?
どのメンバーにも言える事だけど、その人の代わりなんて、誰にも出来ない。
寂しくて悲しくて辛くて、押し潰されてしまいそうになる。いつもこんな時に助けてくれたのは関ジャニ∞だったから、その関ジャニ∞のことでこんなに押し潰されそうになってしまうと、もう救いようがない。

 

きっと受け入れるまでに時間はかかります。関ジャニ∞が2ヶ月かけて感じたものを、2ヶ月かけてした決意を、咀嚼する時間を下さい。
往生際が悪いファンだから、まだ夢じゃないかと思っているよ。夢なら良いななんて、壮大なドッキリなら良かったなんて、そんな事を思えるほどに現実味がないんだよ。これから生きていく上でひとつだけ願いが叶うとするなら、7人で活動を続けて欲しかった。関ジャニ∞に居て欲しかった。それだけです。それ以上は望まないから。


それでも、この期に及んでも、この期に及んだからこそ、関ジャニ∞を好きな気持ちは変わらないのだと、改めて感じた。

 

 

 

あなた達が好きです。あなた達を応援していたい。その気持ちを、このブログに代えさせて下さい。

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