今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

大倉くんの魔法とラジオの7年間

 

 

 

 

 

 

大倉くんの言葉は魔法だ、とずっと思っていた。

 

 


口に出す言葉は、如何なる時もその人の鏡であると思っている。時間をかけ、考えて書いた文章はある程度取り繕う事も出来るけど、その場で脳から口へ伝わった言葉は、咄嗟の装飾が出来ない。

飾らず、背伸びをせず、ありのままの言葉で、大倉くんはラジオを7年間続けてくれた。

 

 

 

 

始まりは、2013年4月からの「関ジャニ∞大倉忠義 日曜日好っきゃねん」だった。大倉くんの単独ラジオレギュラーが決まったと発表された時は、驚いた。「俺も一人でラジオしたいなあ…」と言ってもチーフマネージャーさんに「大倉は無理でしょ」と一蹴されて「そうやんなあ!ハッハ!」と返しながら心の中で「コイツしばいたろか」と思っていた大倉くんが、かつてラジオでメンバーに「大倉が一生懸命喋ってるとコアラが全力疾走してるみたい」と言われていた大倉くんが、一人で30分のラジオレギュラーをやるのだと言う。

本人は「僕に一人でラジオをしないですか?ってお話を頂けたって事は、感謝しなきゃいけないし、かなりの勇気だと思う」「ファンの方もびっくりだと思うんですよね。今までメンバーとラジオはあったし、基本的に横山くんと村上くんがトーク担当じゃないけど、っていうのがあるので」と話していたが、すぐに大倉くんの言葉はラジオに適している事を知る。

過去にメンバーとラジオをしている時には気付かなかった「言葉を紡ぐ上手さ」「声のトーンのラジオ向き加減」。誰かに話を振ったり場を回したりなどの卓越したトークスキルとはまた少し違う、一つ一つの言葉選びの上手さ、跳ね過ぎず落ち着き過ぎないトーンの声。耳馴染みの良さとはこういう事を言うのだと思った。

 

毎週30分なんて一瞬で終わった。たくさん仕事の話もしてくれた、メールも読んでくれた、クイズや質問にも答えてくれた。放送枠は土曜の夜となり「関ジャニ∞大倉忠義 ラジオ好っきゃねん」としてその枠で一年続いた。初めは「一人ってすごい寂しいですね」と笑っていた大倉くんは2年後「次からは相槌を打ってくださる方がいる。嬉しいですねぇ」と呟き、2015年から高橋優くんと一緒に「オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん」として5年間、生放送(時々録音)で言葉を紡ぎ続けてくれた。

 

 

 

この7年間、色々なことがあった。数え切れないほど沢山の事を、話してくれた。新しい仕事が決まった事、悔しかった事、イライラした事、仕事の裏話やエピソード、プライベートの話、大切な人との別れ、大倉くんの気持ち。その時に感じた事を、その時の大倉くんの言葉で、残してくれた。

 

 

一発目に好きな食べ物を聞かれ「炭水化物!」と答えていた事。昼寝をするのが日課で、その時に聴いてる曲は秦基博さんの「休日」だという事。ドラマなど大きな仕事が終わったら必ず牛すじカレーを作る事。JR有楽町駅前で大倉くんの写真を見せて何人がフルネームで答えられるかクイズ、30人中12人が正解し「12人分かるって言ったら嬉しいなぁ!しかもフルネームやからね!嬉しい〜!関ジャニにおったっけ…みたいな感じやったのに前まで!有楽町前ね!行こかなあ!週一くらいで!ビックカメラあたり」と分かりやすく喜んでいた事。趣味を探そう企画でリコーダーで残酷な天使のテーゼを吹いて難易度の高さに笑っていた事。一番下の弟が「にいちゃん!にいちゃん!」と部屋に入ってきていたのに中学生になったあたりからいきなり入ってこなくなって寂しかった事。家で育てている観葉植物にカナブンの幼虫がいて叫びながら割り箸で摘んだ事。3月末に桜の開花ニュースが流れた時、夜の8時に日比谷公園でお花見しながらプルタブを開けてラジオを録音した事。安田くんが作ってくれた歴代のジングル。優くんのモノマネに爆笑した事。二元中継を何度もやった事。2人で弾き語りした事。三股しているリスナーさんに声を荒げて怒った事。毎晩ゲームに課金したのにスマホの画面を割って水の泡にした事。雑穀米と唐揚げで作った誕生日ケーキが登場した事。ラジオブースの外に作られたミニ四駆用特別コースでサイクロンマグナムを走らせて大喜びした事。低周波マッサージやVRホラーなどの罰ゲームをした事。DJ忠義がクリスマスソングをかけてくれた事。数え切れない程のイライラじゃんけんをした事。

何よりも、大事な時、どんな報道より、綺麗に整えられた文章より、今の気持ちが、言葉が欲しかった時、ラジオの向こう側にいる「誰か」に向き合ってくれた事。

 

 


色々な事があり、そこにはいつも、体温が宿った言葉があった。大倉くんの言葉は、どんな時も真っ直ぐで正直だった。楽しい時には声を上げて笑っていた。悔しい時には隠すことなくその思いと真っ正面から向き合っていた。誰かに寄り添う時には余計な言葉掛けはせずに、きちんとその人の辛さを「その人の辛さ」として理解してくれた。悲しい時はにはその声音こそ沈んでいたけれど、悲しみでできた穴を隙間なく埋めるような誠実さがあった。

 

大倉くんの言葉選びは、整理整頓に似ている。足元に散らばった言葉を一つずつ拾い上げ、それぞれの場所を確認して元通りに戻していく。絡まっていた糸を苛立つことなく丁寧に解いて、一本の線に戻す。大倉くんの凄い所は、それを人の心の中と自分の心の中で同時にやってしまう所なのかもしれないと思う。今、どんな状況に置かれていて、何が悲しみの原因なのか。その悲しみはどうやったら消えるのか、その為には今、何をしていけば良いのか。大倉くんが自分の心を整理するように話してくれる言葉達は、聞いている人の心の中まで洗い流してくれるようだった。

あるべき場所へ戻された言葉を見て、絡まりが解かれた糸を見て、気付く。大倉くんの言葉の中に無責任な「大丈夫」というそれはないのに、大倉くんの言葉を聞いた後、自然と大丈夫なんだと思えた。辛くて苦しい時に心につける薬なんかないのに、等身大で、飾らなくて、ありのまま話してくれる言葉は特効薬だった。飛び跳ねられるほど元気にならなくても、また息を吸い直して前を向うかなと思える、そんな言葉たちだった。

 

私はそれを、魔法だと、ずっと思っていた。

 

 


でも知っていた。大倉くんの言葉は決して魔法ではない事を。

みんなの悲しみが無条件に消えて、みんなが幸せになれて、良かったねで終わる綺麗な魔法ではない事を。誰かの代わりとして空いた場所に呼ばれ、ほぼ出来上がっていた輪の中に最後に加入をし、血の滲むような努力を重ねてそこに居場所を確立し、色々な人の渦に巻き込まれるように年月を過ごし、出会いと別れを繰り返して今に至っている人の言葉は、大倉くんの努力と人生の上に成り立っている事を。

魔法に見えるだけで、魔法ではない。魔法だと錯覚してしまうほどに上手で、暖かくて、優しくて、冷静で、誰かの心の上で傘になるから、それが分からなくなる。

 

 


大倉くんは夢のような世界で生きているのに、言葉を空中に投げてしまわない人だった。言葉たちはいつも現実の重力を孕んで、然るべきスピードで足元に落ちて積み重なっていく。

遠い場所からラジオを通して耳に届く言葉は、時に魔法で、時に薬で、時に北風で、時に夢で、時に傘で、時に現実で、時に温かい毛布で、時に立ち止まった背中に添えられる手だった。

辛い時、どこか手の届かない場所から拡声器を使って叫ばれる「頑張れ」じゃなくて、気付いたらすぐ隣で聞こえる「一緒に歩こう」だった。

 

 

 

魔法じゃない。だけど魔法だ。

等身大の飾らない言葉には、そう思わせてくれる力があった。そう思う。

 

 

 

大倉くんは言う。「自分が普段、何を思って過ごしているんだろうとか、何してたんだろうこの1週間、みたいなのは再認識出来ると言うか。自分が何を思ってるんだろう?っていうのが一番大きかったかもしれないですね」。大倉くんにとってラジオってどんな存在だったんだろうと思っていた。多忙な日々の中で一息ついて、自身の行動や考えを振り返るきっかけに、ラジオがあったことを知って嬉しかった。

大倉くんは言う。「深い事話すとさ、寝れなくなっちゃうじゃない?だから考えすぎないようにしてるんだけどね。中身がないことにしてる。(この椅子に座る時は)空っぽにしてる」。このラジオの椅子に座る時は、何もかも忘れて空っぽにしている。楽しい事も、嫌な事も一旦全てをリセットして、優くんを前にフラットな状態でいる。口で言うのは簡単だけど行動に移すには決して容易な事ではない。激動の7年間の生活の中に組み込まれた週に一度のラジオという存在が、大倉くんの一つのリセットボタンになっていたことを知った。

大倉くんは言う。「いつも優くんがいるから助かってる」。中身のない会話で2人で盛り上がってくれた事。沢山物真似をして、沢山歌ってくれた事。時に自分に対して厳しくて自己肯定感が低くなる大倉くんの話を、優しい相槌で「うん、うん」と聞いてくれた事。そんな大倉くんを否定することなんか一度も無かった事。大倉くんがラジオの向こう側にしていた事と同じように、毎週目の前に座る人に無責任な「大丈夫」を送らなかった事。何度も何度も「大倉くんは凄いよ」と伝えてくれた事。そんな大倉くんのことを「Beautiful」という歌にしてくれた事。

5年もの間、大倉くんと向かい合わせで、一緒にオールナイトニッポンでの時間を過ごしてくれた事。大倉くんと一緒にラジオをしてくれたのが、優くんで良かったなと心の底から思う。本当に、ありがとうございました。

 

 

 

週末の反省会と称したこのラジオは、芸能人2人の会話なのに、何故か聞いてる人に「自分と同じだ」と思わせてくれる不思議な力があった。同じように笑い、同じように泣き、同じように妬み、同じように苦しんで、同じようにまた立ち上がる。大倉くんも、高橋くんも、物理的にはラジオの向こう側にいる人だけれど、どこか「ラジオのあちら側もこちら側もない」と思える体温があった。

土曜日の夜はこれから先もずっと続くけど、そんな大倉くんと高橋くんがある土曜日は今日が最後だった。2人の「また来週」がある土曜日の夜に戻ることは二度とない。けど。

 

 

 


楽しそうに話す声を思い出す。

 

 

 

 

 

「結構僕っておしゃべりなんですよ。意外と。」

 

 

 

 

 

知ってる。だからまたいつか、そんなラジオが聴きたい。大倉くんの飾らない言葉が、優くんと楽しそうに話す声がまた、ラジオの向こうにいる誰かに魔法をかけるその時を、ずっと待っています。

  

 

 

 

 

 

7年間、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 


2020年3月29日