今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

1月17日の世界から前へ

今更かもしれませんが、3ヶ月前にツアーが終わりました「関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」の最終公演について書こうと思います。

前置きでお伝えしたいことは、この記事はDVDを買う・買わない、見る・見ないのどちらかを強制する事が目的ではありません。
オーラスが終わってから何度も、あの日感じた事を文章に起こそうとしたのですが、しばらくぐじぐじと泣いてばかりの生活だった事と、気持ちと文章の整理がつかず遅れ遅れになってしまった事から、今日にまで至ってしまいました。
あの日どんな事を感じたのか、どんな事があったのか。ただの1ファンの感想文です。どうか、他の意見や思いがございましても、そっとしておいて頂けると幸いです。








2016年1月17日。


その日、関ジャニ∞ドームツアー「関ジャニ∞の元気が出るLIVE!!」最終公演のため、私は京セラドーム大阪に居ました。
ペンライトや団扇等の必要な物を準備し、開演まで隣の席の安田くん担当の友人と、最終公演について雑談。その時はまだ何も知りませんでした。アナウンスも特になく、会場も特に変わった空気はなし。異変に気付いたのは、開演時間の5分前です。いつもなら開演の5分前に必ずモニターに流れるはずの、コンサートにおける注意事項の映像が流れません。画面は真っ黒のまま。最終公演だから流れないのかな?サプライズが好きな関ジャニ∞の事なので、もしかしたら最終公演は注意事項の映像を飛ばして、違う登場の仕方をしてくるかもしれない。だなんて、まだそんな事を考える余裕もありました。


開演の16時を過ぎても、いつもなら始まるコンサートが、始まりません。暗転にもならず、何処かざわざわと、嫌な空気が流れ始めるのが分かりました。

アリーナ前方でのファンの叫び声。そこから感染するように、会場中に疎らに叫び声が広がりました。ライトアップもされていないステージの上には、等間隔に並ぶ関ジャニ∞メンバーの姿が。衣装でもない、黒色のスタッフパーカー。まだメンバーは何も発していないのに、まだ何も伝えられていないのに、もう口の中も喉もカラカラに乾いていました。嫌な予感ではなくて、ステージの上には、数えるまでもなく、でも、どう数えたって、6人しか見えませんでした。




「見て頂いた通り、大倉くんがいません。」



いません。目で見て居ないのは分かっているのに、いざそれを声で伝えられると、途端にそれは現実のものとなってのし掛かってきました。会場にいた殆どのファンが、すぐには状況を飲み込めなかったためか(私もそうでした。)、反応が1テンポほど間を空けてのものだったことを覚えています。
いません。なんで?怪我?事故?病気?考えられる事は全て想像したと思います。考えたくもない嫌な想像が、一瞬で頭の中を巡りました。昨日まで出ていたコンサートに今日出られなくなる程の大きな事が起こっている事は確かで、メンバーの次の言葉が出るまで、とてつもなく長い時間が流れたような感覚でした。
会場の反応がおさまったのを確認したメンバーが口を開きました。



「急性的な腸閉塞になりまして」
「本人も直前まで出たいと言っていたけど、医師の判断で止めになりました」
「今日どうする?と6人で話したけど、お客さんの前に出てから決めようと。ライブやっても良いですか?」
「このまま終わるのは、大倉にも申し訳ない」



メンバーは、今の状況を大まかに説明してくれました。急性的な腸閉塞であり、本人は直前までコンサートに出たいと言い続けていた事。医師の判断で出演は難しいということ。6人での形となるけれど、もし公演をやっても良いならば、メンバーはやりたいという意見と。会場からは反応が起きました。それが拍手だったのか、歓声だったのか、私は覚えていません。何の反応も出来ず、ステージに立つ6人をただ見つめる事しかできませんでした。

反応を受けて公演をすることになり、6人が衣装に着替えるため、一度袖へハケて行きました。途端にざわざわと騒がしくなる会場。どこかで聞こえる泣き声。その騒めきも、誰かの泣き声も、京セラドームの空気そのものが、とても遠くで起きている事のようでした。頭がついていかないというのは、あの事だったのだと今になって思います。

呆然としたまま、さっきのメンバーの言葉を少しずつ飲み込みました。徐々に思考が回り始め、周りの騒めきが遠くの世界から耳元まで届き、ここに大好きな人はいないのだ、と、1ミリだけ頭で理解した瞬間、涙が溢れました。立っている事が出来ず、息もうまく吸えない。そこで初めて、自分の手がずっと震えていた事にも気付きました。


コンサートが始まり、いつものように、モニターに映像が流れました。今回のオープニングは、5大ドームの最寄駅からメンバーが各ドームへと徒歩で移動する映像が使用されています。メンバーと笑いながら、京セラドームを目指して歩く、今日は居ないその人の笑顔が映像の中にはありました。ニコニコと楽しそうに笑って、元気そうな笑顔が。このままこの映像が終わっても、もしかしたら本当は無事で、7人揃って出てくるんじゃないかと思う程。

見える景色は6人でのコンサート。オープニングでの立ち位置をあけてのフォーメーション、即興での歌詞の変更、全員が居ない彼の団扇を持ち、彼が歌っている歌詞のパートやユニット曲を分担し、居ない穴を埋めながら何度も何度も繰り返し「大倉」と名前を呼ぶ。ここには居ない。もう今日は大好きな笑顔は見られない。声は聞けない。姿は見られない。
ドラムセットも、ドリンクボトルも、使う人はそこに居ないのにセットされている。
関ジャニ∞が居ないメンバーの事を一瞬でも忘れているだなんて全く思えないコンサート。暖かくて嬉しいはずなのに、そう思える関ジャニ∞の言動を目にする度、どう足掻いてもここに大好きな人は居ないという現実も同時に痛感する気がして、団扇を手放せないまま、公演の間ずっと涙は止まってくれませんでした。

公演終了後、ずっと隣で心配してくれていた友人とも駅で別れた後、また涙がボロボロ溢れてきました。もうグループに戻って来ない訳じゃない、死んでしまった訳でもない、大きな事故に巻き込まれた訳でもない。また元気になったら関ジャニ∞に帰ってきて、またグループの中で笑ってくれる。それでも。それでも。なんでこんなに涙が止まってくれないんだろう、と。
関ジャニ∞が見せてくれたものは最高に暖かいものだったけれど、どうしたって拭えない寂しさや心配がずっと心に引っかかっていました。やはりそれは、一番見たかった大好きな人の笑顔を見ていないからで。声を聞いていないからで。




今回、DVDがあの1月17日公演を本編として発売されると知った時、恐らく本編は見ないだろうと思いました。あの公演の関ジャニ∞はとても暖かくて優しくて、DVD説明文中の「絆」なんて安直な言葉では言い表せないほど強くて、関ジャニ∞自身が泣いてしまいそうだったからです。実際涙を流したメンバーも居ました。関ジャニ∞こそ、ファンよりも切羽詰まった、泣きそうな状況の中で、17日公演を走り抜けたのだと思います。それはコンサートへの出演を止む無くされた彼も同様です。きっと、それを映像として見てしまうと、あの日を思い出して辛くて苦しくて、耐えられないと思ったから。




ですが、辛い気持ちでいるであろう本人が、真摯な言葉で姿勢で、あの日の想いと今の気持ちを綴っている文章を受けて、どこかで1月17日から止まったままで前に進めていなかった自分の背中を押してみることも必要なのではないかと思っています。



2016年1月17日。

あの日からずっと、心の中が埋まらず寂しい気持ちでした。それでも、本人からの言葉を聞けた今なら、きっとあの日に京セラドームで見た景色は、少しだけ違って見える気がします。



きっと、誰が欠けたって駄目です。
次は、嬉し泣きで会いたいな。