今夜の花火終わるまで

関ジャニ∞が好きな人のただの日記です。

ある日突然お腹が痛くなった話

突然ですが、私が3年前にある日突然お腹が痛くなった話をします。

 

ここ最近、こういう病気を体験しました、というブログやツイートを目にする機会が多かったのと、ファンに若い女の子が多いジャニーズというジャンルに身を置いているので、少しでも若い人が自分の健康に目を向けてくれたらいいなと思い、3年前の事について書く事にしました。

 

 

その日は朝から仕事の予定でした。
が、アラームもまだ鳴らない早朝5時に起床。お腹が痛い。お腹が痛くて起きました。最初は寝ていれば治るかもしれないと思ってしばらく横になっていましたが、様子を見ても全く治る気配がない。仕方なく市販の痛み止めを1錠飲み、仕事に行く準備を始めようとも思いましたが、まず痛みで起き上がることが出来ない。

何とか家族に助けを求めて病院まで送って貰いました。生憎祝日だったので、通常の外来はお休み。救急外来しか受け付けはされてなかったのですが、この時はまだ、痛みが治れば遅刻してでもこのまま出勤すればいいか…とさえ思っていました。

 

ですが、問診票を書いている間もずっと痛い。痛みのあまり吐き気まで出てくる始末。字がへろへろ。やっとの事で受付まで問診票を戻しに行きましたが、そこでもう痛みと吐き気で立っていられなくなりました。ぐったり。診察前に尿検査を取りますので…と言われても、もうお手洗いまでの数メートルすら歩けない。
そして混みいった救急外来でやっと診てもらえたのが2時間後。ベッドに移してもらっている間もMRIやらCTやら検査に回っている間もほとんど記憶はないのですが、家族によるとずっと「痛い…痛い…」と唸っていたようでした。

 

 

検査の結果、「卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)」であることが分かりました。
通常2〜3cmほどである卵巣に腫瘍が発生する病気です。私の場合は腫瘍で10cm以上に腫れていて、待っている猶予もなく手術で摘出するしかないので、今から入院して今日中に手術をしますと言われました。
何だかもう納得するしかありませんでした。ショックと言うよりも「こんなに痛かったんだからそれ位の病気があって当然」という感想と「やっとこの痛みから解放される…」という安堵の方が先でした。12時に入院し、病室で寝たまま手術や全身麻酔の同意書にサインをし、諸々点滴や尿道カテーテル(これがまた痛い)や着替えや処置を受けて、14時には手術室へ行く事に。早い。それくらい緊急性の高い状態だったんでしょうが、もう心の準備とか、そういう事にまで意識が回らないまま人生で初めての全身麻酔に挑む事になりました。
(一応、「手術中全身麻酔を使うか、意識は保ったまま手術部位だけに麻酔をかけるか」を選ばせてもらえましたが、起きてても暇だなあという事で全身麻酔になりました。)

 


手術台に移動して、横を向いた状態で背中から硬膜外麻酔を入れます。これもまた痛い。そりゃ背中に太い針を刺されているのだから、痛くて当然なんですが、朝からずっと色んな事で痛かったので、もう早く楽にして欲しい…の一心でした。で、ようやくマスクを当ててもらって「意識がなくなるってどんな感じだろう」と考えた3秒後にはもう寝ていたと思います。普段から寝つきが悪いので、こんなところで憧れのおやすみ3秒を体験しました。次に気がついた時には既に病室に帰ってきていて、19時頃になっていました。
そこまでぼーっとせず、普通に朝に目が覚める感じとほぼ変わりはなかったです。17時には帰ってきていたようでしたが、その後2時間寝ていたと。

 

とにかくこの夜が大変でした。
硬膜外麻酔が持続的に背中から入っているのである程度痛くないとは言え、お腹は10cmほど切っているのでもちろん傷口が痛いし、点滴や尿道カテーテルで身動きもあまり取れず、水も翌日朝まで飲んではいけなかったのもあり喉が渇き、自分で寝返りも打てないので背中が痛い。
家族もみんな家に帰ってしまったし、口が渇くので湿らせたいけど、寝返りも打ちたいけど、何せ自分がこの病院で看護師として働いているせいで時計を見ては「夜勤のこの時間はこれで忙しい」とか「この時間はあれしてるからだめだ」と、無駄に「ナースコールを押してはいけない」という意識が働いてしまって、職業柄のしんどさというものはあった気がします。結局朝まで一睡も出来ませんでした。

 

ようやく朝になって、水も少し飲めて、尿道カテーテルを抜けるか判断するためにお手洗いまで少し歩きましょうと言われ、起き上がるために少しお腹に力を入れただけで身悶える程の激痛。涙が出ました。お腹を切るってこんなに痛かったのかと。
点滴棒に掴まって前かがみで、1メートルだけ歩きましたが、そこでもう限界でした。たかが1メートルで全身汗だく。背筋を真っ直ぐなんてとてもじゃないけど出来ません。背筋を少しでも伸ばすとお腹の皮膚と筋肉が動いて激痛なので、手術翌日はお手洗いまで死に物狂いでの移動になりました。(尿道カテーテルは抜いてもらいました。)

 

そんなこんなでまだまだ傷は塞がらないまま1週間ほどで退院し、それから仕事復帰に向けて、家で階段を昇り降りしたり家中の掃除をしたりと鞭打って我流リハビリに励み、退院から2週間後には職場復帰まですることが出来ました。
さらにその1週間後には傷口に包帯をぐるぐるに巻いた状態で舞台を観に行き、その1ヶ月後にはコンサートのために東京遠征までしました。入院や手術することになって1番の気がかりが「予定している舞台やコンサートへ行けるか?」というところだったので、私はつくづく根っからのヲタクなのだと痛感しました…。(入院が決まった時に、一番に入院期間がどれくらいになるかを聞きました。)

 

精密検査の結果、私は「皮様嚢胞腫(ひようのうほうしゅ)」であることが分かりました。卵巣嚢腫の中でも、若い人に最も多いタイプです。

後々写真も見せてもらいましたが、皮様嚢胞腫は腫瘍の中に髪の毛や脂肪や歯や軟骨が巻きこまれたもので、実際に腫瘍の中に髪の毛がありました。凄かった。
中でも左卵巣の腫れが12cmと酷く、私は左卵巣を摘出したのですが(右は残せた)、子宮と卵巣を繋ぐ卵巣固有靭帯という所が卵巣の肥大化に耐えきれず、茎捻転(捻れた状態)を引き起こしていました。朝の突然の激痛は、茎捻転が原因でした。捻れたせいで左卵巣へ血液が送られず、壊死している状態だったと聞きました。540度捻転していたそうです。540度って。1周半回ってる。

 

幸い、私は良性腫瘍だったのですが、皮様嚢胞腫は高齢になると悪性化する事があるので、今も半年に一回、残された右卵巣の診察に通っています。
よく、こういった病気の体験談で「生理痛が酷かった」「生理不順があった」というのは聞くのですが、私にはそういったものが殆どありませんでした。生理不順もなければ、寝込んでしまったり動けなくなる様な生理痛もなくて、無症状だった末にこういった事になっているので、やはり検診は大切なのだと思います。
自覚に乏しい病気なので、進行してからある日突然痛みで気づくという事も珍しくありません。腰の痛みや、下腹部がぽっこり出てきたというのも症状の一つだったりするので、サインを見逃さないようにしてください。

 

30代からの定期検診が勧められていますが、私の場合は23歳で摘出になったので、20代でもきちんと検診を受けて欲しいなと思います。若い女の子は特に!

 

 

 

以上、ある日突然お腹が痛くなった話でした。

 

 


余談ですが、手術直後に関ジャニ∞を見るのは駄目でした。確実に傷口が開きます。(本庄ルミさんとサダさんの回で地獄を見ました。)